カオルの不定期日記



DIG WEDNESDAY詩人 2010年06月25日(金)

  2010 6/23 ( wed ) 21:30pm
足元がやたら冷えて上半身は暑くて靴下に短パン半裸。


マリさんと「討論会をした」とオレはブログなどに書いている。
これは「文字通り討論会」なんだ。
ジョークや「置き換え」などではない。

あるテーマに対して
「自分の意見/考え方/それに対しての行動や接し方」を述べる。
先日は北京一さんもいっしょだった。
オレが手を挙げる。先輩ふたりは「はいカオル君どうぞ」と。
オレが語り終わるまで誰もクチを挟まない。
納得すれば同意のコトバを頂き
また質問や疑問反論があればそれをわかりやすく話してくれる。

マリさんには「シンガーとして後世に残したい音楽」があり
オレはその「日本語係」に抜擢された。
これは「チームプレー」だから「全体の意思の統一」が重要。
だからそれに関わる人間の価値観や美意識をお互いに尊重しあい
また「互いに知ること」に時間をかける。
オレはノートを広げて引っかかったコトバをメモ。

まるで学生時代の「文化祭前夜」みたいで楽しかった。
「秘密プロジェクト」というほどおおげさではない。
「きちんと音楽を演奏して唄う」という当たり前のことを
オトナたちが再度真剣に取り組むのだ。
噛み砕いて簡単に言うと
「チカゴロの人間はマネーとパワー(権力)に夢中で
 いちばん大切なことを忘れちゃってるみたいだなあ。
 音楽家の端くれとして音楽でその状況にチャレンジしたいなあ」
そんなカンジ。

しかし「カオルちゃんは変わっているよね」と
マリさんが北さんに同意を求めてうなずかれると困ってしまう。
カオル「僭越ながら申し上げます。
    わたくし自身も自分は変わっているという自覚はありますが
    マリさんと北さんには言われたくねーぞ。意義ありです」



北京一さんは7月で還暦を迎える。
大阪の西成生野地区の出身で「北京一京二」という漫才で大人気。
笑福亭鶴瓶さんが現在も「兄さん」と呼んでいる。
北さんは「芸能界 売れる」というコトに興味がなく
吉本興業の誘いをあっさり断り漫才をやめブルースに傾倒。
その後パントマイムの道に入りフランスで修行。
北さんの話はとても壮絶でおかしくて漫才で鍛え上げた話術と
パントマイムの動きで語られると「愉快なショー」になってしまう。  
「フランス時代 西成時代」の話はオレの文章能力では再現不能。
直接「自発的」に北さんを訪ねることをお勧めする。 
やはり「現場(ライブ)」にいたヒトのコトバは重い。  

オレは「同世代の中じゃけっこうエキサイティングで濃密な人生だぜ」と
オモイコンデイタのだけれど
マリさんや北さんの話しを訊くと「オレって薄い人生かも?」と。

最初オレは一方的な金子マリというシンガーのファンであった。
直接お会いして話す機会を与えられて認識は変わった。
先輩とか男女とか唄がうまいというレベルを超えて「尊敬する人」だと想った。
マリさんのココロの「軸の太さとつらぬき方」に賛同した。
オレの知る限り関東では「そのスタンスを変えずに30年以上現役」は
清志郎さん亡きいまはマリさんだけだ。

オレが生まれた頃に(東京オリンピックぐらい。1964年前後)
日本に「ロックの芽」みたいなモノが。
「芸能界」に対抗するカンジでそれは芽生えたがやがて取り込まれていく。
オレはその「ロック創世記」のヒトたちに憧れて音楽をはじめた。
先輩たちは雑誌などで「ステージで死ぬ/オレたちは終わらない」と
豪語していたがバブル期にはみな「ディレクターや投資家」などになった。
役者や別のシゴトに就いたヒトも多い。
「なんだよ。ロックやめちゃったのかよ。
 それどころかロックを知っていたはずのあなたたちが
 くだらない音楽を売り飛ばしてさいてーだぜ」とカオルは想った。


21世紀。
品性や礼儀が失われた。
「勝ち組/自殺/ストレス」に振り回されているヒトビト。
「まともな音楽/本/コトバ/文化/映画やアート」を知ろうともせず
ネットやテレビの情報だけで満足した「自称アーティスト」が跋扈(ばっこ)する。
またそれを「指摘」しないオトナたち。
戦争を知らない子供達を知らないオトナたち。
ただひたすら「傍観するヒト」がいる。
逃げもせず戦いもせずぼんやりとテレビを眺めているヒトがいる。
「民主党が自民党のマネをして消費税が10%ってひどくね?」
誰もが言う。
ただでさえ下がった給料でそれはつらい。
だけど「そんな状況」に「発言も行動」もしない。
酒場で愚痴るだけだ。
ガキは変な病気になりみんな「嫌われないように」生きているみたいだ。

イライラする。

オレはマリさんにもその「慢性的なイライラ」を感じて確認した。
そのイライラをネットにぶつければ「愚劣で卑しい書き込み」になるが
音楽に昇華して「きちんと演奏」すればそれはご機嫌なロックンロールになる。
ストレスは「溜め込むもの」ではなく
「発散し願わくばそれが作品になればいい」とオレは痛切に想う。
生きていく上で「ある程度のストレス」は必要なんだ。
「自分だけは無傷に」って具合にはいかないんだ。

毒もクスリも麻薬も「おなじモノだ」だ。
使うヒトの「感性と想像力」にすべては委ねられている。
「作業用に開発されたダイナマイトが戦争に使用される」

極端に言えば
娘にプレゼントしたちいさなオルゴールは「生涯の宝」にもなれば  
「羊たちの沈黙の愛すべき悪役ハンニバルレクター氏」の手に入れば
手錠を外したり凶器にもなり得る。
ただオルゴールで誰かを殴るヒトは少ない。
たいていはビール瓶やハンマーだ。先入観。
こんな時代だからこそ
オルゴールやコンビニの袋に入った缶ビールを振り回せば凶器になるという
「発想/想像力」が本当に大切なんだと想う。

「ちょいと。カオル君。キミはそんなに立派な人格者なの?」
オレは思い切りクビを横に振る。
「とんでもない。立派どころかオレは相当な無知で愚かなオトコだよ。
 ただ『自分はモノを知らない愚か者』という『自覚』はある。
 バカで愚かなまま人生を終わりたくない。
 だから知ろうとするし考えようとする。
 空振り三振でも打席に立ち続けて『なぜ打てなかったか』を考える。
 行動して体験するを繰り返す」

「言論の自由」というコトは「言論が不自由だった時代」があったのだ。
誰かが「その自由」を血まみれで勝ち取った。
でも。
オレが辺りを見回すと「その権利」を「使っていないヒトビト」が多い。
また「使わせないようにする権力者」が多い。
さらに「とりちがえて匿名でコトバを暴力的に使うヤツら」が多い。

オレは2007年の9月に
「ヤバいな。のんびり鬱病やってる場合じゃねーな」と唄いはじめた。
いまのところオレの武器は「コトバとメロディー」しかないからね。
「カオルの命」がくたばるまでそれを続けていきたいと想っている。


7/7(水)EATS and MEETS Cay / spiral B1F 03―3498―1171 

金子マリpresrnts 5th elementwill [ DIG WEDNESDAY ]

このイベントの紹介文のお手伝いをさせてもらった。

「さまざまな分野で活躍する『時代の証人たち』
 世代もジャンルも超えたコラボレーション。
 21世紀のココロをなくしたコンクリートジャングルに
 『風穴』を掘る」

正確な文章は自分がかかわったクセに忘れてしまったが
とてもおもしろそうなイベントだ。

タイトルは映画「ビッグウエンズデー」のパロディだ。
「DIG」とは「掘る」というような意味。
「掘る」という行為は「原点にさかのぼる」というコトだ。
古代文明の「名残」を求めて砂漠を掘り続けるヒトがいる。

オレはいくつもりだ。

蛇足。
巣鴨信用金庫は素晴らしい。
毎月4のつく日には場所を提供しお茶やお菓子をお年寄りに。
出歩くのが難儀なお年寄りには年金を宅配する。店員が。
誕生日にはプレゼントを持って行く。信用金庫は赤字だ。
また近隣の経営難の店とコラボレーションして
「お客様に喜ばれる商品」を開発して銀行内で販売している。
窓口業務終了後店員たちは「なにが喜ばれたか?
 今後お客様が喜んで頂けるサービスはどんなモノか」とノートに書いている。
オレは素敵だなあと想う。

彼らは言う。
「我々にとって面倒で非効率なことは
 お客様にとってラクで便利で嬉しいことなんだ」と。
「成果主義」から「企業文化」へと。

いまの企業は「自分たちが効率よくラクなように」と考えている。
ライブハウスなんかももっと工夫するべきだ。
この季節は「エアコンの温度」が難しい。
出演者やスタッフは動き回るから汗をかくけれどお客さんは寒い。
だから開場時に「エアコンの温度はどうですか?」や
張り紙で「エアコンの温度は店員に声をかけて下さい」など。
「あの店は寒い」というだけでこないヒトもいるんだ。
またライブ終演後にすぐに客席の灯りをつけるのもケースバイケースだ。
もっと余韻に浸っていたいお客さんもいる。
でも店内清掃や機材の撤収の時間も必要だ。
店員が電車できていれば終電の問題もある。
そういった「現状」をふまえて「わたしたちはどうするべきか?」という
討論会が必要なんだと想う。

よくも悪くも21世紀。時代は変わった。

オレはやはり唄い続けたいと想う。
 


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