カオルの不定期日記



ジグゾーパズル詩人 2010年05月23日(日)

  2010 6/23 ( sun ) 9:30am
雨。。。


レインのブログに「人生は庭園のようなモノだ」と書いたら
多くのヒトから反響を寄せられて恐縮している。
あれは若き写真家からのメールと
それに添付された写真から触発されて書いた。
彼女に「私信」として返信をしようとしたのだが
「これはいろんなヒトに読んでもらいたいなあ」と想ってブログに載せた。
「人生は庭園」という発想はオリジナルで出典も参考文献もない。

オレは46歳で便宜上人生の三分の二ぐらいは
すでに使ったと考えている。
若い頃に戻りたいとか
「あのときああすればよかった」とは想わない。
ぜんぜん想わない。
謝りたい人や償いたいことはたくさんあるけれど
オレは自分の生き方がわりと気に入っている。
好き勝手につくりながらをつらぬく。
それは年を重ねるとよりソリッドになってきた。
くだらない話しに愛想笑いしたり社交辞令を言っている時間はもったいない。

後悔してそれで「なにかいいことあんのかな」と。
後悔よりも孝行した方がいい。親孝行。

〜思想家レインブラック氏の感覚〜

「わたしもカオル氏の人生は庭園のようなモノだという文章を拝読した。
 ユニークな発想で個人的には気に入っている。
 そしてわたしも彼の文章にインスパイアされ人生について考えてみた。

 人生はジグゾーパズルのようなモノだ。

 生まれた時に名前といっしょにパズルを渡される。
 どんな絵が描かれているかその時点ではわからない。
 ひとり1枚。取り替えることはできない。
 ヒトは日々そのパズルにワンピースはめていく。

「パズルを組み立てる行為」そのものが人生だ。

 うまくハマる日もあれば全然違ったピースを選んでしまう場合もある。
 その失敗から教訓やコツを覚えてヒトは生きていく。

最初のうちは楽しい。
どんな絵になるのだろうか?
この黄色いところはヒマワリだろうか?

だんだん絵の全体像がわかってくる。
70%ぐらいまで完成した。
その頃にヒトは物悲しいような気分になる。
あの黄色はヒマワリではなかった。缶ジュースだった。
それが歳をとるということ。

そして最後のワンピースをはめるときがくる。
それは「死」だ。
ヒトは死んで「完成」する。

どういう順番でやってもパズルは埋まり最後のひとつが残る。
周りから組み立ていくヒトもいれば
最初に色分けなどをしていくヒトもいる。

話は変わる。
ワタシは想う。
「大人の定義のひとつ」とは
「大好きな服と実際に似合う服は違うんだ」がわかることだ。

他者のパズルの組み立て方に文句を言うのはよくない。
また誰かのパズルを壊してしまうことは絶対にいけない。
戦争というのはそういうモノだ」


とレインブラック氏は語っているが
まあ人生なんて実際は生臭いモノだ。
異議を唱える気はまったくないけれど
「例え話」は例え話であってそれ以上でもそれ以下でもない。

レインのパズルは人間のよりずっと小さい。
ピースも風邪薬の錠剤よりちいさい。
レインのパズルはいまのところ真っ黒で
はじっこの方に銀色の月らしき模様がみえている。
特に楽しんでいる風もなく
ただひたすら1日1個はめていっている。

オレのパズルは60%ぐらい完成しているけれど
まだ「なんの絵」かわからない。
マチスの絵にちょっとばかり似ている。

おしまい。
 


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