カオルの不定期日記



遊びなど詩人 2010年01月30日(土)

  2010 1/29(fri) 22:00pm
最近あまり寒くない。


レインが苦労して手に入れたオレのニューパソコン。(愛称:マッキュ)
なぜか時計が2分進んでいる。
よくわからないが2分前の未来にいるタイムマシーンみたいだ。

長い人生の中で「2分ぐらいさあ」と想ったりもするが
コンマ0秒以下で競っている選手などには死活問題だ。
カップラーメンの食べごろにも影響がある。
テンポ120の曲は1拍が0.5秒。
16分音符はその4分の1。
そのわずかな揺れがいかしたグルーブになったり
「ん?リズムわりーな」となる。
8:45分到着予定の電車が2分遅れるとイライラする。
1ラウンド3分で戦うボクサーにも2分というのは大問題だ。

たかが2分。
されど2分。

ドコモショップで手に入れた黄色のキッズ携帯。(愛称:イエロードラゴン)
龍の入れ墨と「薫風丸」の文字。
イエロードラゴンにはGPSがついている。
携帯からある距離以上はなれるとブザーが鳴るとか。
しかし。
iモード未加入のオレにはぜんぜんGPSではない。

イエロードラゴンは1時間ごとにチャイムが鳴る。
うっとうしいので消したいのだが方法がわからない。
でも慣れてきたというかなんとなくそれはそれでいいのかもと想いはじめている。
この携帯が「キッズからオトナ」になるまで使いたい。

最近はオンナにふられてばかりだ。
理由は様々だけれど結果は同じだ。
なにか自分でもわからない「おおきな欠陥」があるのだろうか?
考えてもわからない。
だから考えない。

レインブラック氏の放言。
「わたしは学者ホイジンガの説に賛成である。
 ホイジンガは語る。
 『人類と他の動物たちの違いは道具を使うことだと言う説がある。
  わたしはそれを否定しないが別の考えを持っている。
  わたしは「遊ぶこと」ではないかと想う』

 動物も戯れたり追いかけっこをして遊んでいるようにもみえる。
 だがわたしは「狩の練習。習性。生き延びる知恵」という実務的な要素が強く
 人類の遊びとはちがうと想う。
 ゲーム。スポーツ。賭博。酒やクスリに酔う。文章。音楽。
 映画。子づくり以外の快楽のためのセックス。カラオケ。
 ダーツ。手品。すべてのコレクション。数えたらキリがない。
 (余談:「ピンからキリまで」というのは花札の用語だ。
  花札は12月分の絵が描かれている。1月をピンといい
  12月の札にはキリの絵。優劣ではなく幅の広さを表す。
  また無視する行為を「しかと」と呼ぶことがある。
  これも花札から。10月の紅葉の札には鹿が描かれている。
  その鹿はそっぽを向いている。だからしかとなんだと)

 閑話休題。
 我々は遊びが好きだ。
 衣食住など生きていく上では必要がなくむしろカネもかかるのに
 我々は遊ぶ。遊びに夢中になる。

 話しは脈絡もなく変わる。
 あるオンナがいう。
 「わたしのことは遊びだったのね。。。。」
 この場合の「遊び」とはなんだろうか?
 なにか「入籍/結婚」という風習と関係があるようにも想える。

 こういう状況でオトコは「いやー楽しかったね。たくさん遊んだね」と
 言ってはいけないようだ。
 アタマを掻きながら下を向き
 判決を告げる裁判官のような口調で「すまん。仕方がなかったんだ」というのが
現在「わりとベターな方法」だと考えられているらしいが
 わたしにはまるで興味がない」


今日はたまっていた選択をした。
そしてたまっていた洗濯もした。
掃除もしたし床も拭いた。
2月からは動画などをやろうと想っている。

もしも男児が授かったら「遊太朗」とでも名づけようか。


また。
 


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