カオルの不定期日記



子分詩人 2010年01月21日(木)

  2010 1/20 25:45am
寒くない。


先日の下北ライブの前にマリさんにメールをした。
「またラブレターを唄って欲しいです。
 念のためにCITYも特訓しておきます」
返信。
「今日は起きる。いま起きる」
以上。

ライブの夜にお礼のメールを出したら
「ちゃんとガム噛んでね」と。

ふむ。

ところがゆうべ。
マリさんから3通連続でかなりシリアスなメールが来た。
マリさんの大先輩で恩師である浅川マキさんの火葬場からだ。
葬儀屋の娘であるマリさんは雑で無礼な葬儀に対して腹を立てていた。
まして自分が尊敬している浅川マキさんの葬儀だ。
こんな個人的な憤りをなぜオレに?

内容は書けない。
これは「カオルを信用してくれて書いてくれたもの」だからだ。

今日は渋谷で田村部長と打ち合わせがあった。
オレはどうしてもマリさんが気になってメールした。
「森園とシモキタでやるから」と返信があった。
下北沢について飯を食っているとマリさんから電話があった。
「お酒を買って来て欲しい。迎えに来てくれないか。
 ひとりではライブにいけないかもしれない」

マリさんの部屋は素敵だった。
古い外国の映画に出てくるようなおおきなソファーで2時間近く話した。

浅川マキさんが自分にとってどんなに大切なヒトだったか。
自分よりも1000倍強烈で厳しくて「芸が汚れる」とテレビはあまり出なかった。
「金子マリ」という存在を「いい加減自覚しろ」と。
電話で何時間も話すと難しいことを4つぐらい言われる。
それがわかるまでだいたい4年ぐらいかかる。
これからは英語の唄をうたえ。7億人が話しているコトバを。
マリ。いまなにか英語の曲をうたえ。
「え?」と言ったら「オマエはやめちまえ」と言われるに決まってるから
1秒以内に唄う。そうやってずっとわたしは鍛えられた。
浅川さんは死んだ日もツアー中だった。
お客さんのことしか考えなかった極道だから無念だったろう。

ここには書けない楽しいはなしも豊かな感性もたくさん感じとれた。

タクシーを拾って店に行った。
話したら少し元気になったと。
ライブでは「金子マリと申します」と「名乗った」んだ。
これはマキさん亡き後で生き残っている「最年長ロックシンガー」としての
決意と言うか「初代金子マリ宣言」だとオレは感じた。

オレは酒をとりにいったりマリさんの煙草に火をつけたり
ドアを開けたりコートを着せたり
「パシリとエスコートの中間のカンジ」が楽しかった。子分なムード。
帰りもマリさんを車に乗せて家まで送った。
別れ際にタクシー代と水道料金の紙をもらった。
これで払っといてということだなと想ったけど水道料金は領収書だった。

オレはヨコハマに帰るタクシーの中で目を閉じてiPodを聴いていた。
ジャズしか似合わない夜だった。
スローなコトバのないジャズしか。


また。
 


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