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2009 5/3 ( sun ) 14:00pm 「曇り空」の「見本」のような天気。
深夜に友人から「忌野清志郎さんが死んだ」と電話があった。 それからオレはなんとなく胸が「しくしく」と憂鬱で 空も曇っているし勝手に「喪中」なカンジだ。
清志郎さんとは面識がないし プライベートのことはまったく知らない。 音楽や雑誌やテレビなどの清志郎さんの「言動」にしびれた。 なにか「不良性」のようなモノが好きだった。 いつだって「権力 ブルジョアジーの対極」にいて ストレートにそれらの醜悪にケンカを売っていた。
15歳ぐらいで存在を知って 夢中でレコードや雑誌を集めた。 髪型やメイクをマネしてRCのカバーで文化祭に出たりもした。 だけど髪型の評価は「長渕剛みたい」でオレは憤慨で せめて「ロッドスチュワート」と言って欲しかった。
オレにとって清志郎さんはずっと「アイドル/偶像」だった。 だから胸がしくしくする。 例えば。 先週はおこづかいが足りなくて買えなかったオモチャ。 くすねたカネを握りしめて駄菓子屋に走る。 しかしそこにあるはずの店がない。 「ああ坊や。ここのおばあちゃんはおととい死んじゃってね。閉店だよ」
テレビやインターネットで「清志郎さんのニュース」は 意図的に排除している。 彼の軌跡が2分ぐらいの映像にまとめられて コメンテーターが適当なコメントをして 「次のニュースは激安高級グルメ ゴールデンウイークに!」とか そんなヒドいモノは見たくない。
清志郎さんが「もっと生きたかった」のか 「もう充分だぜベイビー」なのか知らないけれど オレは「先輩。ご苦労様でした。 勝手に受け継いだロック魂を胸にカオルは唄います」 そういうコトバしか浮かばない。
どんな病気だったのか詳しいことは知らない。 ただ「清志郎さんの新作とライブはもう見られない」という事実があるだけだ。
たまたま偶然にオレは5/1と2日に iPodで清志郎さんの唄を聞いていた。 トランジスタラジオはやっぱりいい曲だった。
「授業をサボって 陽のあたる場所にいたんだよ 寝転んでたのさ 屋上で タバコの煙り とても青くて 内ポケットにいつもトランジスタラジオ
彼女教科書広げてるとき ホットなナンバー空に溶けてった あー こんな気持ち うまく言えたことがない ないやいやい」
本当に屋上で吸うタバコの煙りは青いんだ。 トランジズタを持って授業をサボってそんな風にしたら 先生に見つかってオレたちは停学になった。 しばらくしてまたオレはトモダチを屋上に誘ったけど 「もうこりごりだ」ってことでオレはひとりでやっていた。 また見つかって停学になった。
「多摩欄坂」という曲はたまにライブで唄っている。 このHPのトップページの隠しトラックには 「スローバラード ライブ(ピアノ 染谷俊)」があったような。 清志郎さんが金子マリさんに書いた「ダンスミュージック☆あいつ」も 「彼女の笑顔」も大好きだ。
タイマーズも好きだった。 (清志郎さんはそのバンドでは「ゼリー」と名乗っていたが)
「ヘヘイ ウイ アー タイマーズ タイマーが切れたぜ 大麻がきれたぜ」
オレは清志郎さんの「やらかしてくれるカンジ」に憧れている。 オレは清志郎さんより長く生きて唄い続けたいと想う。
清志郎さんはもう別の場所で 先に逝ったバンドマンとセッションをしてるんじゃないかな。 それでいつかそれを録音して 下界にCDの雨が振る。 悪いヤツはそのCDで大怪我をする。 ヨイコはそのCDでダンスを踊る。
ベイビー。 くよくよするなよ。 よくある話さ。 誰にでもある話さ。
おしまい。 |
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