カオルの不定期日記



夢詩人 2009年04月28日(火)

  2009 4/26 (sun) 23:00pm
とても綺麗な夕焼けだった。風が強かった。


「カオルに質問!」ってヤツで
「カオルさんの夢は?」ってのがあった。
以前にも複数あったのだけれど答えなかった。

実はオレには「かなえられたいいなと想う夢」がある。
ただあまりにも感傷的で傲慢で偽善者的で
バカげているような気がして回答をしなかった。

でもなにがあったわけじゃないけれど突然気が変わった。
「そうだな。もしかしたらオレの代わりにやってくれるヤツがいるかも。
 釣り糸を海に入れなければ魚は絶対に釣れないからな」と。

カオルの「夢」へのステップ。

1 まず「カオルの作品」で喰えるようになりたい。
  文章や唄やロボットやそんな「自分が好きでつくるモノ」で。

2 そしてそれで「大量の金銭」が欲しい。
  オレとレインがずっとその預金や印税だけで
  暮らしていけるぐらいのお金。
 (例えば1億円。2000円のCDが5万枚売れる1億)

3 さらにもっともっともっと欲しい。
  でもカオルは「ふたり分の約1億」を確保したら
  「それ以降の儲け」はすべて「国連など」に寄付をしたい。
  (どういう団体と提携するのが相応しいのかは
   実際にそういう状況になれたときに精査する)

4 そしてそのお金で「奨学金制度みたいなコト」をやりたい。
  世界中にいる「特別な才能があるコドモ達」に贈りたい。
  「お金がないコトが原因でその才能を伸ばす時間を削って
   労働をしたりしているコドモ達」などに
  「奨学金」みたいなカンジで金銭をプレゼントしたい。
  「お金がないから自分も働かなきゃ」という労働をやめて
  学校で勉強したりトレーニングや研究などをして欲しい。
  またそれにかかる道具や必要なモノの購入資金の足しになればいい。

 (実際問題はその「該当者」の選考や詐欺や
  両親が盗んでしまうとかさまざまな懸念もあるが
  それは「もしもそうなったとき」に考える)

5 その「奨学金」は「返却」とかしないでいい。
  途中であきらめたり別で高収入が得られたらストップするけれど
  「いままでの分」とかは「プレゼント」だから返さなくていい。

6 その金銭で特別な才能を伸ばせるコドモがいるかもしれない。
  1本のヒットで街中を喜ばせたり
  すごい発明や発見をしたり。
  素敵な唄や踊りでみんなをいい気分にさせたり。

7 そして。
  その「才能で充分な預貯金」ができたら
  「カオルと同じこと」をやって欲しい。
  オレには「歩合的な金銭」は一切いらない。
  「絵はがき」とかもらえたらば嬉しいけれど。
  「契約書」とかも別にいらない。指切りでいい。


これがカオルの「ばかみたいな夢」だ。

この世界には高級ワインを風呂に入れるようなお金持ちも
高級ワインをつくる道具を運ぶ仕事をしているヒトも
学校へも行けずにゴミの山から
売れそうな物を拾わなくてはならないコドモ達もいる。
学校へ行きたくないとゴミの山に隠れて
ポータブルゲームで遊んでいるコドモ達もいる。
両親からお金を盗られるコドモもいるし
両親からお金を盗むコドモもいる。

なにがいいとか悪いとかわからないが
いずれにしても「カネさえあれば」という「生々しい現実」がある。

オレは常々「この世でいちばん必要なモノはカネじゃないか?」と想っている。
誤解のないように書くけれど「いちばん大切」ではなくて「必要」だ。
水も大地も値段がついている。電気も気の利いたペットにも値段がある。
でも「お金で買えないもの」がある。
「愛」じゃない。ある種の愛は金で買える。
オレは金で買えないものは「才能」ではないかと考えている。
才能を伸ばすためにカネは必要だろうけれど
どんな大金を使ってもイチロー選手の才能は買えない。
どんな高級な絵の具を買って家庭教師をつけても
イタルの絵はイタルにしか描けないしピカソの絵はピカソにしか描けない。

さて。
その生々しい現実を踏まえてカオルの夢が叶うかどうかは
たぶん上記の「ステップ1までさえもとても難しい」と想う。

誰か「使い切れないほどのカネ」がある人がこれを読んでいたら
また知り合いにそういうひとがいたら
「こういう考え方をするバカがいる」と伝えて欲しい。
複数の個人が集まってやることもできる。
また「裕福な会社」がやることもできる。
そりゃあ「本物の高価な陶器や絵画」が欲しいという気持ちもわかる。
でもさ。
なんつーかさ。
「粋」じゃないんだよな。
チカゴロのお大臣お大尽様はさ。

「回収のできない酔狂な投資」だけれど
カオルは「この夢を叶えてこういうお金の回し方をして
 悪いことはあるのだろうか?」と思い込んでいる。


座って半畳寝て一畳。
飯を食っても2合半。
けっこう好きなコトバだ。
「ヒトは腹が減っていても一度の食事では米を2合半ぐらいで充分だろう。
 どんな偉いヒトでも偉くないヒトでも
 座るスペースは畳半分ぐらいで充分だし
 眠るスペースは畳1枚分もあれば充分ではないか」

オレはこう解釈しているんだ。


痩せすぎず太りすぎず。
欲しがりすぎずに謙虚になりすぎず。
嫌な物は嫌でいい 好きな物は好きと言う。
暑い日には薄着をして 寒い日には厚着をする。
大事な会議に遅刻しそうな日にはタクシーを飛ばし
余裕のある日はひと駅歩く。
なるべく荷物を減らしゆっくり眠る。

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のパクリのようで恐縮だけれど
オレは真剣に「すべてはバランスではないか。ほどほど」と想っている。
仏陀というヒトは「それを中道」と言ったらしいとウワサで聞いた。
オレは仏教徒でもないし「中道」の真意は不勉強なのでよくわからないが
「極端はダメだよ。何事もほどほどに塩梅よくね」と
オレは勝手に解釈している。

お願いだ。
「仕方ない。しょうがない」と言わないでくれ。
たぶん。
「仕方 やり方 仕様」はまだある。

可能性。

希望。

夢。

今夜も世界のどこかで雨が降っている。
地雷を踏んでしまったコドモや動物がいる。

あ。
蛇足を。
どこの世界でもたぶん「幼児虐待をどう思うか?」という質問には
ほとんどのヒトが「いけないことだ。してはいけないことだ」と
答えるのではないかとオレは想っている。
また「動物虐待は?」も同様の回答ではと。
そしてオレは「最大の幼児虐待は戦争だ」と思い込んでいる。

またね。
 


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