カオルの不定期日記



なぜなぜ詩人 2011年02月04日(金)

  2010 2/3 (thu) 1:00am
外はきりりと冷えている


想像して欲しい。
真夜中に迷彩柄のステテコ風ヒートテックをはいて
iPodの佐野元春「ワイルドハーツ」に
合わせて鼻唄をうたいながら
寒い台所で大根と白菜を浅漬けしているオレを。

コーヒーをわかしながら
野菜をギュウギュウと塩揉みする。
重しをして米を洗う。
手が冷たくて嫌になった頃にコーヒーが仕上がる。

こんな風にわざとらしく
快適に暮らすのはけっこう好きだ。
わざわざ凍えて熱いコーヒー。

星新一さんの短編にこんなカンジのがあった。
「贅沢に飽きた大金持ちが友人を別荘に招待する。
 別荘は僻地の奥にある。季節は冬。大雪。
 友人は寒くて遭難しそうになりながら到着。
 別荘内は別天地のように快適な暖房。
 大金持ちは薄着で友人を出迎える。
 友人はたちまち汗だくになり薄いアロハシャツに。
 ふたりは外の冬景色を眺めながらきりりと冷えたビールを飲み談笑」
たぶん70年代頃の作品だと想う。
子供の頃はこの「贅沢なカンジ」がわからなかった。
だいたいビールを飲んだことさえなかった。

だけどなぜかこの話を特によく覚えている。
(よくわからなくて何度も読み返したのかもしれない)

30歳の時には玄関マットを洗うバイトをしていた。
夏は行水感覚でいいのだが冬はとてもきつかった。
軍手長靴雨合羽。洗ったマットの洗剤をバケツの水で流す。
それの水を切り干していく。とても重たい。
帰り道に自動販売機でワンカップ大関を買う。
まず手を暖める。フタを開けるとすぐに冷めてしまうから。
腰をヒドく痛めてやめてしまったが好きなバイトだった。

洗い物などをして手が冷たくなるとよくこの頃を想い出す。
でも酒を飲みたいなとはまったく想わない。


〜 すべての「なぜ」にいつでも答えを求めてたあの頃
  いつか自由になれる日をアテもなく夢見てた 〜
  「佐野元春 ワイルドハーツ冒険者たち」より


「なぜ/どうして」という感覚。
そういう好奇心や疑問がなければヒトは満たされないし進歩しない。
ミステリー映画などは最初に「なぜ?」を提示して
次第に「解明」していき最後に「オチ/どんでん返し」をやる。
クイズも謎解きも研究も同じだ。

オレもそういう好奇心が強いのだが
最近「なぜ? まあいいか」となることが増えた。

いい音楽や絵画。
素敵な景色などに触れた時に
オレは「なぜこれがいいのか?」とは考えない。
ただひたすらにしびれる。
また自分の作品でもずっといいなと想える曲や
みんなが慕ってくれるものは「なぜできたのか?」と訊かれても
まず答えられない。

リンゴが落ちるのを見て引力を発見したニュートン。
星新一さんも言っていてオレ自身も経験があるのだが。
ニュートンは日々ずっと考えている。
「なぜに。地球は回っているのに我々は遠心力で飛ばないのか」
星新一さんは小説のスジや「オチ」を考える。考え抜く。
アタマがブイーンと回転する。
でも納得した文章が書けない。
しょうがない。
今夜はもうあきらめて風呂に入ってブランデーを飲んで寝よう。
アタマの回転はクールダウンする。
風呂に入る。
お。あ。そうか。
さっきまで苦労していたアイデアがすーっとまとまる。
風呂を飛び出て書き留める。
考え疲れたニュートンはリフレッシュのために散歩に出る。
気分が変わり思考回路も変わる。
そして偶然ニュートンはリンゴが落ちるのを見た。
お。あ。落ちたぞ。
これは下に引っ張るチカラだ。
吹き飛ぶどころか下に落ちたぞ。

集中して考え抜いて緊張した脳。
休憩して休んだ時にひらめくことが多いとカオルは推測する。
思考パターンが変化するのではないだろうかと。


今度イタル画伯に訊いてみようと想うのだが
「絵の始点と終点」が気になるときがある。
彼は。彼女は。
この絵のどこにまず筆を置きどこで「完成。おしまい」としたのか。
画家によってまったく違うのだろうけれどたまに気になる。
それとも「そういう意図的な感覚」はないのだろうか。

まあいい。
うん。
まあいいんだ。


それにしても腹が減る。
なぜか。
生きているからだ。
「生きている実感がない人」は
てってーてきに断食するといい。

死者と生者のちがい。

1 死者は腹が減らない
2 死者はもう嘘をつかない
3 死者は唄わない

と想っているのだが実際はどうなのだろうか。

まあいい。
死んだ後の「お楽しみ」だ。


くしし。
 


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