カオルの不定期日記



カミュと太陽詩人 2009年11月29日(日)

  2009 11/29 (san) 19:30pm
帰り道に雨が降り出した。


今日パパンが死んだ。
これは「カミュの異邦人の1行目」のマネです。
(今日ママンが死んだ)

夕方にカオルの親父が死にました。
眠ったまま死んだのでよかったと想います。
葬式関係などでバタバタしておりますが
アシタのルックやリハなど予定通りやります。
それはカオルの意志でもありオヤジの「希望」でもあります。

「死んだもんより待ってるヒトがいるところに行って
 カオルにしかできない仕事をしてこい」

覚悟をしていたので
あまり気分の落ち込みや揺れなどはないので御心配なく。

オヤジは入院する時に本をたくさん持って行きました。
そして多すぎたので看護婦さんに「せめて5冊に」と。
さっき「その5冊のホン」をオレはもらってきました。
ある程度「死を覚悟した人間が最後に読もうと想ったホン」に
とても興味を持ったからです。

・日本語の作法/多田道太朗
・うたと日本人/谷川健一
・大唐帝国〜中国の中世/宮崎市定
・日本語事始/梅原猛
・日本の偽書/藤原明

どれもむつかしそうなタイトルですが読んでみようと。

オヤジとの共同作業は
「詩人は夜明けにガムを噛むのあとがきの英訳」
「バラッドキングのチラシやコピーの英訳」
「黒猫物語のあらすじの英訳」でした。

オヤジには3人の息子がいました。
次男はオヤジの「勤勉さ」をうけつぎ
三男はオヤジの「優しさ」をうけつぎました。
そして長男のカオルは
「頑迷/偏屈/活字中毒/アルコール中毒」をうけつぎました。

ブイーン。

冒頭で「カミュの異邦人」のパロディをしました。
その小説の中で主人公が「犯罪の動機」について訊かれると
「すべては太陽のせいだ」と答える場面があります。
ずっと気になっていたフレーズでしたがさっきなんとなくわかりました。

「太陽のせい」を「太陽の責任/太陽が悪い」と考えずに
すこし解釈を広げて「太陽のシワザ/太陽のおかげ」と考えました。

約40億年前の地球にはなにもありませんでした。
ある時に大雨が降り続き「海」ができました。
そこにものすごい落雷がありました。
するとその海の中に「単細胞生物」みたいなものが誕生しました。
それを太陽が育てました。
そのちいさな「いのち」は魚になったり樹になったり鳥になったり
虫になったり様々に進化/変化をしていきました。

詳しくはわかってないらしいのですが(ミッシングリング)
そのなかで「人類の原型」に進化したものがあり
現在の2足歩行と大きな脳を持つ「人間/ホモサピエンス」が誕生しました。

ここからはカオルの憶測になります。
人類の原型は「狩猟採取」で生活をしていました。
日本で言う縄文時代です。
しかし弥生時代になり人類は農耕をはじめました。
これが「ポイント」だったとカオルは考えます。
狩猟採取と農耕の大きな違いは
「食べものを保存できる」ということです。
簡単に言えば「何年分もの米を貯金できる」です。
つまり「米をたくさん持っているヒトが有利」という「階級」ができます。

狩猟採取の時はその日にとったものを
仲間で平等に分け合い基本的に生ものは保存できません。
「米をたくさん持つ」というのは「銀行に預金がたくさんある」というのと同じです。
そして誰もが「それを増やすこと」にがんばりました。
それは「自然な感覚」だと想いますが
結果論で言うと「不平等 競争社会」の原型だったのではと。

さて。
いま生きている我々には必ず両親がいます。
その両親にも両親がいます。
それをずーっとさかのぼっていけば「40億年前のキセキ」にたどり着きます。

だからいま我々が喜んだり苦しんだりしているのも
元をたどれば「太陽のせい」なのかもしれないとカオルは解釈しました。
そしてその太陽も数十億年後には死亡するらしいです。
そういう風に考えると
どの神様も「太陽のせい」でなんか「小物」に想えます。

太陽はただ照らします。
貧乏人も大金持ちも太陽は平等に照らします。
太陽は指示も命令も示唆も天啓もあたえません。
ただ我々を暖かくしてくれるだけです。


海へ行ってなんか「懐かしいな 還ってきたぞ」という気分になることはありませんか?
あったら。
あなたの遺伝子は「とっても記憶力のいい遺伝子」なのでしょう。

我々の祖先は誰ひとり死んでいません。
死んでいたらいま生きている我々はいないのですから。

つまり我々は「すでに選ばれたラッキーな遺伝子」なのです。

楽しく生きていこうと想います。


おわり。
 


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