カオルの不定期日記



げーめー詩人 2010年06月30日(水)

  2010 6/29(tue) 22:15pm
なんだか天気がぶっ壊れている。


まいにち程よく忙しくて
なんとなく楽しい。
冷蔵庫はないのが困る。
すぐにお茶が腐ってしまう。
1日半ぐらいで味がおかしくなる。
オレはガキの頃に拾い食いもしていたから免疫があるけれど
レインの水やご飯が困る。

ブイーン。

げーめーを考えるのが好きだ。
使うアテはないのだが芸名を考えるのが好きだ

ヨアソビ ワルサ君 (不良君限定)
オダ マリ(小田マリ)
そのうち かいこ(園内快子)すぐにクビ。
かなりさいこ(ぶっ飛んでるヒトに。香成彩子)

加藤タオル

オレはタオルが好きだ。
チャーリーブラウンの仲間のようにタオルが好きだ。

「元々はタオルって名前だったんですよ。
 昭和39年には手ぬぐいとか雑巾と呼ばれてたんですね。
 だけどアメリカさんのカンジがカッコいいと時代がね。
 親としては息子が汗を拭かれたりちょっとあれでしょ?
 そんなわけでカオルに戒名したんですよ」
〜偽ミチコママ談〜

ホンモノのミチコママは元気に「ふるほんや」をやっている。
誰か話し相手になってくれ。
そして「カオルは素晴らしい」と適当マシーンで頼む。
間接的親孝行術。
住所はHPの通販のヤツ。
徒歩3分。マクドナルドの道まっすぐ右側。


ブヒーン。
部品?

いまブログで動画をやっている。
セルフ動画だ。
「関東のライブに来られないカオル組のヒトビトに
 なにかできないだろうか」と。

ツイッターだと絵が見えない。
ポッドキャストだとその機械がないとダメだ。
また「配信」というカタチを好まない。
なぜか?
例えばブログは「受け手が好きな時間に予測してくる」だけれど
メルマガやポッドキャストは「カオル側からの一方的」な感じがする。
だからある程度「コトバの選択」が必要になる。
それは不自由だ。
でもブログならその辺は「お互い様」なムードになる。
You tubeは「自分でアップするモノではない」と考えている。
誰かが自由にやってくれるコトは大歓迎。

試行錯誤中だ。

ライブの生中継も考えたのだけれど
パソコンを持ち歩いたりそのセットをしたり
また観る側が「スカイプやiChat」に加入しないと難しい。

現在「あまり重くない動画でブログを携帯電話で」がベターだと考えている。
「ずっと生中継」というのも考えたのだけれど
それはやりすぎだろうしだいたい機材がぜんぜん足りない。

オレの「目的」というのは「多くのヒトに発言などをきいてもらいたい」だ。
「お金など」は「二次的」なモノで
そういうコトを中心に考えるとたいてい愚劣でしくじる。

もっと効率よく多くのヒトに
「カオルのコトバ」を広げる方法はないだろうか?
ライブの楽しさや「適当マシーンの効能」を語りたい。
成功すれば「動員/CDの売り上げ」にも繋がるが
やはりそれは「副次的なモノ」と考えた方がいい。

ようするに「5秒ぐらいみんながにやりとすりゃあ本望だよ」なんだ。
誰にも聴いてもらえない唄ほど悲しいモノはない。
オレはみんなが働いて稼いだお金を放って頂いて暮らしている。
みんなの税金の一部が「福祉的なモノ」としてオレとレインを助けてくれる。

そんなコトを考えている。
「カオルにとって面倒で手間のかかることは
 観客にとってラクチンで楽しいこと」
前回ぐらいの日記の「巣鴨の銀行のやり方」を取り入れたんだ。

「行動/実行」しないと能書きたれる資格はないからな。

けっこうセルフ動画は楽しいんだ。
レインも乱入するしね。

つづく。
 

人間の証明詩人 2010年06月26日(土)

  2010 6/26 ( sat ) 18:00pm
今年も半分終わるな


松田優作が出演している「人間の証明」という映画がある。
できるだけ多くのヒトに、特に若いヒトに観てもらいたい。
(はじめて自然に「、」が打てたぞ!!)
オレは近所のTUTAYAで借りた。
もし可能があればそのDVDが欲しい。
二文字で言えば「くれ」だ。切望してんだ。せつぼー。

さて。

この映画のコトを「カオルの実体験」と
レンタルDVDの「劇場パンフレットの文章」を元に書く。

昭和52年。
1977年に「人間の証明」は劇場公開された。
カオルは中学1年生。13歳。
大好きな松田優作が出ているから
「太陽に吠えろみたいな刑事物」と思い込んで観にいった。
刑事も殺人事件もあるのだけれど「謎解き映画」じゃなかった。
オレは終演後すぐにジョー山中さんが唄うエンディングテーマを買った。
不確かな記憶ではドーナツ盤で500円だったと想う。
西条八十の詩集は実家にあった。
(ジョー山中さんは冒頭に出てくるジョニーヘイワードを演じています)

それから30年以上過ぎて観直してすぐに繰り返し観て
オレは「自分の原体験」をその映画に発見してしまった。
帽子/詩/タバコ/ロック
「ハーレム」というコトバをこの映画で知った。

角川文庫の角川春樹さんがこの時代に「商業映画」を仕掛けた。
よくも悪くもそれは商業的に大成功した。
原作はベストセラーになりキャッチコピーの
「読んでから観るか。観てから読むか」が印象的だった。
まあ角川文庫も角川映画もよろしくねってことだ。

それまで日本映画は「黒澤明の映画」をのぞけば
日活ロマンポルノやヒーロー怪獣映画でほとんどがインディーズだった。
「人間の証明」はなにもかもが違った。
まず制作費が当時の金額で1億円だ。
(ポルノ映画の予算は数十万円)
セブンスターが120円の時代。
家庭用ビデオテープもウォークマンもなかった。
ゲームセンターが24時間営業。インベーダーゲーム!
家には黒い電話機が1台。電話がない家もあった。
そんな時代に「角川映画」は後の「バブル時代」を予見するかのように登場。

さて。
どうしてオレは今頃この映画をまた観ようとしたのだろうか。
先日「DIG WEDNESDAY詩人」を書いた。
マリさんには誉めてもらえたしファンレターも頂いた。
でも個人的には「もっとタイトにルーズに書けないか」と満足はしていない。
マネーとパワー/カネと権力/愛と心をずっと考えていた。
渋谷から帰る東横線の中で漫画「鉄コン筋クリート」を読んでいた。
やっぱこの漫画はサイコーだね。
自由が丘の辺りで読み終えた。
そのとき突然アタマの中にジョー山中さんの唄が。
なんの脈絡もなくエンドロールのようにメロディーが流れたんだ。
「mama do you remember?」
ああ。
なんだっけ?
これ。
オレの大好きな唄だ。
聴きたいな。
ママードユリメンバー ジオールドストローハット ユーギヴントゥミー
口ずさみながらTUTAYAへ。

オレはいま4回目を観ながら書いている。

この映画の舞台は戦後30年頃の(1975年頃)東京とニューヨーク。
そして終戦直後の横須賀とアメリカ兵。
冒頭のファッションショーは山本寛斎の実際のショーと
映画のいまでいうコラボレーションだそうだ。共同作業。
名優たち。ファンキーでロックな音楽。

それから33年。
本当に「時代は変わったんだな」と想う。
景色も価値観も愛のカタチも音楽も。
そしてオレは「この時代の方がオレには合っているな。
いまの時代はややこしいな」と痛切に感じた。
「祭りのあと」の「変わらない場所」ってこれだよなと。

劇場パンフレットには監督の佐藤純繭さんがこう語っている。
「人間の限りない愛とやさしさに推理とサスペンスをまじえて
 ドラマティックに描いてみたい」
オレは「その通りの作品になった」と想っている。
日本人。アングロサクソン(白人)。黒人。そして戦争。

うむ。

あなたが。
真剣に。
集中してみれば。
精神的な病の出口の方向ぐらいは見えると想う。
あなたは。
自分が不幸だと思い込んでいるかもしれない。
「人間の証明」を観ながら自分の状況を置き換えてみて欲しい。
例えばこの映画の「回想シーンで米兵に小便をかけられる男性の生涯」と
ジョニーヘイワードや「海辺で海藻を拾うばあちゃん」と置き換えて欲しい。
(オレはここのシーンがいちばん好きなんだ。
 海辺の老婆と松田優作。タバコ。タイミングが凄い)

やはり映画を語るもんじゃないな。
「百聞は一見にしかず」だ。

ジョー山中さんのエンディングテーマは少し歪んでいる。
声が強いので少し歪んでいる。
現代は「デジタル」で「そういう汚れ/毒」を排除している。
この音楽の「質感」を体感して欲しい。
この時代のカネと権力と愛と価値観。
必要以上に消毒をしてはダメなんだ。

(TUTAYAの名誉会員とかになれないかネ)

http://ja.wikipedia.org/wiki/人間の証明
 

DIG WEDNESDAY詩人 2010年06月25日(金)

  2010 6/23 ( wed ) 21:30pm
足元がやたら冷えて上半身は暑くて靴下に短パン半裸。


マリさんと「討論会をした」とオレはブログなどに書いている。
これは「文字通り討論会」なんだ。
ジョークや「置き換え」などではない。

あるテーマに対して
「自分の意見/考え方/それに対しての行動や接し方」を述べる。
先日は北京一さんもいっしょだった。
オレが手を挙げる。先輩ふたりは「はいカオル君どうぞ」と。
オレが語り終わるまで誰もクチを挟まない。
納得すれば同意のコトバを頂き
また質問や疑問反論があればそれをわかりやすく話してくれる。

マリさんには「シンガーとして後世に残したい音楽」があり
オレはその「日本語係」に抜擢された。
これは「チームプレー」だから「全体の意思の統一」が重要。
だからそれに関わる人間の価値観や美意識をお互いに尊重しあい
また「互いに知ること」に時間をかける。
オレはノートを広げて引っかかったコトバをメモ。

まるで学生時代の「文化祭前夜」みたいで楽しかった。
「秘密プロジェクト」というほどおおげさではない。
「きちんと音楽を演奏して唄う」という当たり前のことを
オトナたちが再度真剣に取り組むのだ。
噛み砕いて簡単に言うと
「チカゴロの人間はマネーとパワー(権力)に夢中で
 いちばん大切なことを忘れちゃってるみたいだなあ。
 音楽家の端くれとして音楽でその状況にチャレンジしたいなあ」
そんなカンジ。

しかし「カオルちゃんは変わっているよね」と
マリさんが北さんに同意を求めてうなずかれると困ってしまう。
カオル「僭越ながら申し上げます。
    わたくし自身も自分は変わっているという自覚はありますが
    マリさんと北さんには言われたくねーぞ。意義ありです」



北京一さんは7月で還暦を迎える。
大阪の西成生野地区の出身で「北京一京二」という漫才で大人気。
笑福亭鶴瓶さんが現在も「兄さん」と呼んでいる。
北さんは「芸能界 売れる」というコトに興味がなく
吉本興業の誘いをあっさり断り漫才をやめブルースに傾倒。
その後パントマイムの道に入りフランスで修行。
北さんの話はとても壮絶でおかしくて漫才で鍛え上げた話術と
パントマイムの動きで語られると「愉快なショー」になってしまう。  
「フランス時代 西成時代」の話はオレの文章能力では再現不能。
直接「自発的」に北さんを訪ねることをお勧めする。 
やはり「現場(ライブ)」にいたヒトのコトバは重い。  

オレは「同世代の中じゃけっこうエキサイティングで濃密な人生だぜ」と
オモイコンデイタのだけれど
マリさんや北さんの話しを訊くと「オレって薄い人生かも?」と。

最初オレは一方的な金子マリというシンガーのファンであった。
直接お会いして話す機会を与えられて認識は変わった。
先輩とか男女とか唄がうまいというレベルを超えて「尊敬する人」だと想った。
マリさんのココロの「軸の太さとつらぬき方」に賛同した。
オレの知る限り関東では「そのスタンスを変えずに30年以上現役」は
清志郎さん亡きいまはマリさんだけだ。

オレが生まれた頃に(東京オリンピックぐらい。1964年前後)
日本に「ロックの芽」みたいなモノが。
「芸能界」に対抗するカンジでそれは芽生えたがやがて取り込まれていく。
オレはその「ロック創世記」のヒトたちに憧れて音楽をはじめた。
先輩たちは雑誌などで「ステージで死ぬ/オレたちは終わらない」と
豪語していたがバブル期にはみな「ディレクターや投資家」などになった。
役者や別のシゴトに就いたヒトも多い。
「なんだよ。ロックやめちゃったのかよ。
 それどころかロックを知っていたはずのあなたたちが
 くだらない音楽を売り飛ばしてさいてーだぜ」とカオルは想った。


21世紀。
品性や礼儀が失われた。
「勝ち組/自殺/ストレス」に振り回されているヒトビト。
「まともな音楽/本/コトバ/文化/映画やアート」を知ろうともせず
ネットやテレビの情報だけで満足した「自称アーティスト」が跋扈(ばっこ)する。
またそれを「指摘」しないオトナたち。
戦争を知らない子供達を知らないオトナたち。
ただひたすら「傍観するヒト」がいる。
逃げもせず戦いもせずぼんやりとテレビを眺めているヒトがいる。
「民主党が自民党のマネをして消費税が10%ってひどくね?」
誰もが言う。
ただでさえ下がった給料でそれはつらい。
だけど「そんな状況」に「発言も行動」もしない。
酒場で愚痴るだけだ。
ガキは変な病気になりみんな「嫌われないように」生きているみたいだ。

イライラする。

オレはマリさんにもその「慢性的なイライラ」を感じて確認した。
そのイライラをネットにぶつければ「愚劣で卑しい書き込み」になるが
音楽に昇華して「きちんと演奏」すればそれはご機嫌なロックンロールになる。
ストレスは「溜め込むもの」ではなく
「発散し願わくばそれが作品になればいい」とオレは痛切に想う。
生きていく上で「ある程度のストレス」は必要なんだ。
「自分だけは無傷に」って具合にはいかないんだ。

毒もクスリも麻薬も「おなじモノだ」だ。
使うヒトの「感性と想像力」にすべては委ねられている。
「作業用に開発されたダイナマイトが戦争に使用される」

極端に言えば
娘にプレゼントしたちいさなオルゴールは「生涯の宝」にもなれば  
「羊たちの沈黙の愛すべき悪役ハンニバルレクター氏」の手に入れば
手錠を外したり凶器にもなり得る。
ただオルゴールで誰かを殴るヒトは少ない。
たいていはビール瓶やハンマーだ。先入観。
こんな時代だからこそ
オルゴールやコンビニの袋に入った缶ビールを振り回せば凶器になるという
「発想/想像力」が本当に大切なんだと想う。

「ちょいと。カオル君。キミはそんなに立派な人格者なの?」
オレは思い切りクビを横に振る。
「とんでもない。立派どころかオレは相当な無知で愚かなオトコだよ。
 ただ『自分はモノを知らない愚か者』という『自覚』はある。
 バカで愚かなまま人生を終わりたくない。
 だから知ろうとするし考えようとする。
 空振り三振でも打席に立ち続けて『なぜ打てなかったか』を考える。
 行動して体験するを繰り返す」

「言論の自由」というコトは「言論が不自由だった時代」があったのだ。
誰かが「その自由」を血まみれで勝ち取った。
でも。
オレが辺りを見回すと「その権利」を「使っていないヒトビト」が多い。
また「使わせないようにする権力者」が多い。
さらに「とりちがえて匿名でコトバを暴力的に使うヤツら」が多い。

オレは2007年の9月に
「ヤバいな。のんびり鬱病やってる場合じゃねーな」と唄いはじめた。
いまのところオレの武器は「コトバとメロディー」しかないからね。
「カオルの命」がくたばるまでそれを続けていきたいと想っている。


7/7(水)EATS and MEETS Cay / spiral B1F 03―3498―1171 

金子マリpresrnts 5th elementwill [ DIG WEDNESDAY ]

このイベントの紹介文のお手伝いをさせてもらった。

「さまざまな分野で活躍する『時代の証人たち』
 世代もジャンルも超えたコラボレーション。
 21世紀のココロをなくしたコンクリートジャングルに
 『風穴』を掘る」

正確な文章は自分がかかわったクセに忘れてしまったが
とてもおもしろそうなイベントだ。

タイトルは映画「ビッグウエンズデー」のパロディだ。
「DIG」とは「掘る」というような意味。
「掘る」という行為は「原点にさかのぼる」というコトだ。
古代文明の「名残」を求めて砂漠を掘り続けるヒトがいる。

オレはいくつもりだ。

蛇足。
巣鴨信用金庫は素晴らしい。
毎月4のつく日には場所を提供しお茶やお菓子をお年寄りに。
出歩くのが難儀なお年寄りには年金を宅配する。店員が。
誕生日にはプレゼントを持って行く。信用金庫は赤字だ。
また近隣の経営難の店とコラボレーションして
「お客様に喜ばれる商品」を開発して銀行内で販売している。
窓口業務終了後店員たちは「なにが喜ばれたか?
 今後お客様が喜んで頂けるサービスはどんなモノか」とノートに書いている。
オレは素敵だなあと想う。

彼らは言う。
「我々にとって面倒で非効率なことは
 お客様にとってラクで便利で嬉しいことなんだ」と。
「成果主義」から「企業文化」へと。

いまの企業は「自分たちが効率よくラクなように」と考えている。
ライブハウスなんかももっと工夫するべきだ。
この季節は「エアコンの温度」が難しい。
出演者やスタッフは動き回るから汗をかくけれどお客さんは寒い。
だから開場時に「エアコンの温度はどうですか?」や
張り紙で「エアコンの温度は店員に声をかけて下さい」など。
「あの店は寒い」というだけでこないヒトもいるんだ。
またライブ終演後にすぐに客席の灯りをつけるのもケースバイケースだ。
もっと余韻に浸っていたいお客さんもいる。
でも店内清掃や機材の撤収の時間も必要だ。
店員が電車できていれば終電の問題もある。
そういった「現状」をふまえて「わたしたちはどうするべきか?」という
討論会が必要なんだと想う。

よくも悪くも21世紀。時代は変わった。

オレはやはり唄い続けたいと想う。
 

名もなきベンチ詩人 2010年06月20日(日)

  2010 6/20 ( sun ) 14:30pm
ムシムし蒸し虫暑い。

やー!

昼は駅前のベンチでiPodを聴いていた。
どこの町のバス停にありそうな名もなきベンチ。
老婦人たちが買い物帰りに世間話をしたり
夜は酔っぱらいや宿無しの寝床になるようなベンチ。

オレはすごくニュートラルな気分で足元のアリを眺めていた。
ガキの頃に見たアリと同じカタチだ。
アスファルトの上のお菓子の屑や虫の死骸を探し
発見すると仲間を呼び巣に運ぶ。
町のコンクリートの地下には女王アリを頂点としたアリの世界があり
その法則やシステムはずいぶん前から確立され
かたくなに伝統を守る部族のようにずいぶん先まで変わらないだろう。

試合にでも行くのだろうか?
楽しそうなユニフォーム姿の少年たち。
1匹のアリが巨人に踏まれて死亡し仲間が巣に運んでいった。
葬儀も哀しみもなく事務的にシステマティックに。
いや。
それは少し乱暴かもしれない。
地下の蟻帝国では優秀なる兵隊の不慮の死を
国をあげて伝統の追悼式が行われているのかもしれない。
「宇宙に生命体はあるか?」と同じ可能性でカオルはそう推測。

レインブラック氏の横車

「蟻の社会で外で活動するのは中年メスの蟻がほとんどらしい。
 若い蟻は女王の世話をする。また地下の管理運営に当たる。
 野外活動は死の危険が地下よりも飛躍的に高い。
 蟻は種の保存の原則に則り
 子を産めず死期も近い中年メスが屋外活動をする。
 女権論者たちは眉をひそめるかもしれないが
 蟻たちはフェムニズムよりも効率性を最も重要視している」

やー。

レインブラックめ。
いつも唐突にあらわれて能書き垂れやがって。
せっかくてーねーに
久しぶりにちゃんとしたぶんしょーを書こうと想ってたのによ。

やー。

あるファンの方がおもしろい文体でメールをくれるので
それをまねっこまんじゅうしよう。

私ハ多分キット
「足跡」ヲ残したいのデしょう
コノ地球ニ生まれて
コノ時代ニ存在シタことヲ
誰カニ記憶シテもらいたいのデしょう
40億年前ニ
宇宙ニ生まれタ地球
40億年後ニハ
消滅シテしまう地球
マダ若き地球ハ
新陳代謝が盛ンデ
我々ハ地球の細胞のヨウニ
生まれてハ消えテ
いまモどこかデいのちハ死ニ
どこかデ新シク誕生シ
トニカク
我々のいのちハ
とても短いノデス

ふむ。
むつかしいな。

オレはこれから映像や録音やいろいろで
「後期カオル」を記録したいと想っている。
理由は自分でもよくわからない。

本日は父の日であるが父はなく
また「学校の課題」以外で
父の日も母の日も誕生日もやらないカオルには特別な日ではなく
明日のライブが愉しみだなあと。

「自分のカラダ」に例えると。
我々は地球で風呂に入って古い細胞を洗い流す。
新しい細胞が生まれそれは消滅するまで続く。
我々が地球なら細胞は生物だ。
人間とはガン細胞のようなものかもしれないな。

そういうことを名もなきベンチで考えて
レインハウスで文章にして
みんなにみせびらかしてニタニタしているのがカオルである。


やー!
 

納豆財布詩人 2010年06月19日(土)

  2010 6/19 ( sat ) 5:10am
蒸し暑い。「ザ・梅雨」ってカンジ。


オレは確か「活字中毒」だった。
いつも本を携帯して風呂場でも読んでいた。
でも。
チカゴロちっとも本を読んでいない。
今年になって漫画も読んでいない。

ノンアルコールビールをガブガブ飲むから
ノンアルコール中毒になったのかね。
明智さん。
どう想います?

ブイーン。

レインはさっきまでオレのあぐらで寝ていたが
いまは湿ったベランダで見張りをしている。
夏も冬も窓を開放している時間が多い。
窓から2mぐらいは「ほぼ屋外」だ。
レインが脱走しないように
カラス除けのネットと針金などでベランダをつくった。

そのネットの穴は2cmぐらいだから「昆虫ウエルカム」だ。
オレは昆虫は特に好きでも嫌いでもないのだが
動きが遅い小さな虫の団体には手を焼いている。
たぶんレインのご飯かオレのノンアルコールビールが目的だろう。
ムカデもいたし先日などはシジミ蝶がレインハウスを訪れた。

砂糖水を用意してレインハウスチームとして飼育しようとしたが
「新しい絵本」のように現実はスイートじゃなくて
レインにやっつけられるのは明白なので
シジミ蝶さん(仮名フリー)には安全なところに行ってもらった。

よし。
湿ったベランダにいるレインを動画しよう。
カシャッ。

ブイーン。

昨日は eros のリハだった。
スタジオのロビーで作戦会議をしていた。
しかし選挙カーのテープ演説の轟音がうるさい。
信号のところで停止してずっとうるさい。
オレは窓を開けて腹式呼吸を全開にして
「おい。選挙。うるせーぞ。
 てめーばかやろう。うるせーやつにはいれねーぞ。
 テープ止めろ。うるせーぞ」と3度ほどシャウトしたらテープは止まった。
我々はつかの間「政治に勝った」と喜んでいたが
選挙カーは青信号になり道路を渡ると再生ボタンをカシャッ。
ロックが政治になめられてしまった。

カオルの適当マシーンだと
「暴走族よりも選挙カーの方が
 意味がありそうな風なカンジがうるさい」と。

総理大臣は「国民投票」がいいのではと心底想う。
「国民主導」とかほざくならそうしろよと。
オレなら迷わずに「レインに1票」入れる。
レインはにゃままま言ってるだけでなにもしないが
それならいまの政治家と同じで
悪事を働かないレインの方がずっとマシである。
レインはテレビ画面の小沢氏をネコパンチしたネコだ。
ヒトラーにでも噛み付くだろう。

にゃがががががー。


今回の日記のポイントは「推敲/構成をしない」一筆書きのようなものだ。
オレの浅はかな脳みそは「最初の方になに書いたっけ?」だ。
そろそろタイトルを決めないと。
候補は「一筆書き詩人」が無難だ。
読者を混乱させるなら「ヒトラー詩人」だろう。

ふむ。

「レインに1票詩人」でいいや。

そだ。
そーだ。
本日のカオルとレインは「節電の日」だ。
創作も捜索もせずに怠ける日だ。
なにごっこをしてレインと遊ぼうか。

よし。
今日はレインに「1日飼い主」になってもらい
オレがネコになろう。
ただゴロゴロしてりゃあいいのだ。

レインはどんなご飯をオレに。

あ。
不意に想い出した。
ドラムのあやちゃんのトモダチの男子が
恋人女子と決別して駅で切符を買おうとした。
ビックリ仰天玉手箱。
なんと財布の中に「大量の納豆」を入れられてしまったと。
女子のシワザであることは明白なのだがなぜに?
迷宮入りですかね?明智さん。

殺すならヒトオモイにやってくれ。

じゃ。
また毎週。
 

夜遊び詩人 2010年06月12日(土)

  2010 6/12 ( sat ) 14:00pm
寒いより暑い方が好きだ。


ゆうべはブラボーな夜だった。
マリさんと夜遊びしたからだ。
カオル曲「祭りのあと」のフレーズでいえば

ポケットが空っぽになるまで
夜を買い占めてはしゃいでた
星よりもネオンが好きだった
明日なんてどーでもよかった

ふたりともなんだか「10代後半のあのカンジ」で
オレはノンアルコービールだけれど
マリさんは夕暮れから飲みっぱなしで
「真剣に遊ぶと70年代のヒトの方がすげー」と。
カオルより10年上のマリさんだけれどパワーが違う。

昨日昼頃マリさんの家に。
詩のことをやるのかなと想っていたけれど
マリさんが「今日は討論会」というので。
オレはずっと気になっていた「清志郎さんやジョニールイス&チャー」など
質問攻めにしていた気がする。

これを録音してテレビ局なんかで流したら
たぶん「芸能界がひっくりかえる」ような話もきいたけれど
それは「ふたりの秘密」というコトでオレは拷問されても知らんぷり。

マリさんが冗談で「録音した?」と言ったのだけれど
ふたつの意味でオレは「録音しておけばよかった」と想った。

1 数十年後に「金子マリの伝記映画」などができたら
  とても重要な資料になったかもしれない。

2 21世紀のこの「息苦しいカンジ」に
  「風穴を開ける」ような意見はバンドマンだけではなく
  今を生きているみんなにきいて欲しかった。

カオルのフィルターを通してカオルのコトバに変換すればこうなる。

A 自分がされて嫌なことはヒトにしない。
B 男子たる者「自発的」であれ。
  自分の言動に責任を持ち気高く生きろ。
C 不明瞭なことが嫌い

解釈。

A これは「大学のたった1学年しか違わないのに
  先輩と言う理由だけで発生する上下関係/階級」だ。
 1年生のヒトは3年生に「パシリ」などをさせられたり
 軽くいじめられたりする。

 オレなら「自分が1年のとき嫌だったから後輩にはしない」と考えるのだが
 なぜか「オレらが1年ときやられたから今度はやってやる」となる。
 どうしてだろう?
 まるでそんな法律でもあるように「マイナスのループ」は繰り返され
 それは社会や会社も侵蝕していく。

B どうしてオレのようなチンピラ詩人と
  超一流のシンガーが遊んでくれるのだろう?
  なんとなく「波長」は合うのはわかっていたけれど
  マリさんは「自発的なところ」と言ってくれた。

  自発的と言えばカッコいいが確かに無謀だったと自分でも想う。
  清水の舞台から飛び降りる心境でマリさんにCDを渡した。
  とにかくノックをしなければ扉は開かない。
  いまの高校球児がイチロー選手に憧れているのと同じで
  「試合して下さい/ボクの球を打って下さい」のレベル。

  なかなか「棚からボタモチ」は落ちて来ない。
 まあ21世紀では「ボタモチ程度」じゃ誰も喜ばないかもしれないけど
 オレはノックをして大判小判ざっくざくの気分だ。
自分で決めて行動して7年かかってつかんだ。

C 最近は「微妙」というコトバが象徴的だけれど
  政治にしてもなんか「ムダにややこしくて曖昧なこと」が多い。
  オレもマリさんも「うやむやなカンジ」が大嫌いで
  マリさんはいつも「カオル君。言いたいことをいいなさい」と。

 ネットの「匿名の嫌がらせ」など不明瞭もいいところで
 誰がなんの目的なのかまったくわからないとひたすら怖い。
 「お化け」も「正体」がわかれば「対処」できるのだが。


理屈っぽくなってきた。
よし。
マリさんにはふたりの息子さんがいる。
ノブアキさん(RIZE ドラム/役者)/ケンケン(RIZE ベース)
「金子ノブアキ作 犬のせいかつ」という絵本を読んだ。
彼がが小学校の時に描いた絵本。
文章がロックンロールで発想も素敵で笑いっぱなしだった。

オレも「マリのせいかつ(全5ページ)」を描いたので
文章も「小学生のノブアキさん風」にしよう。


ごほん。
はじめます。

今日は金子マリさんの家に行きました。
いろいろためになることを教えてくれました。
途中でギタリストの森園さんがビートルズを持って登場。
マリさんが「ビートルズを聴く時は首を振る」と言ったので
みんなで首を振りながらビートルズを聴きました。
その時間はなにか親密なカンジで
ボクたちは「前世で負け戦でともに戦った名もなき兵士」のような
奇妙な連帯感がありました。

森園さんが帰った後も討論会をしました。
マリさんはライターをすぐになくしてしまうので大変です。

そのあと「渋谷でタダ酒飲みにいきましょうよ」と誘ったのですが
マリさんは「気乗りがしないからひとりでいってらっしゃい」と言いました。
ボクは「うん。でも。わかりました」と答えました。
「そういう時はオレの顔が潰れるから来てよと言うんだよ」と言うので
ボクは嬉しくなって「オレの顔が潰れるから行きましょう」と言いました。
渋谷の秘密基地では田村部長が生け贄になりました。
みんな楽しそうでした。

そしてマリさんをタクシーまで案内すると
「送ってくんないの?」と言うので
ボクはポケットのコインをかき集めてシモキタへ戻りました。
マリさんはノンアルコービールのあるお店でごちそうしてくれました。
まぐろの揚げたもの。トマトやピーマンがおいしいもの。明太子のご飯。
ボクには「人前でご飯を食べるのが苦手病」があるのですが治りました。

そのあと家でシャワーを借りようと想ったのですが
「この店気になってるから行こう」と音楽の店にいきました。
時間は1:00ぐらいだったと想います。
お店のヒトはマリさんがあらわれてビックリ仰天しました。
だってそのヒトたちは
「30年前のジョニールイス&チャーのライブで
 マリさんが唄っているDVD」に夢中だったからです。

マリさんはお酒を飲みながら
「30年前のチャーさん」に軽くダメ出しをしながら飲んでいました。
それからボクやお店のヒトに
「カウントのとりかた。リズム。音程」などを
一生懸命に教えてくれました。
すごく「よいことをきいたなあ」と想いました。

最後はマリさんが唄ってくれてみんな楽しかったです。

マリさんの家に戻ってシャワーを借りて
マリさんがつくってくれたミートソースのパスタを食べながら
また討論会をしました。
久しぶりに「マトモな年上の人間」と話した気分です。

ボクは言われたことを忘れないうちに
マリさんとバイバイして朝10時からスタジオで練習しました。

少し背が伸びたような気がします。 

おわり」
 

イングリッシュ詩人 2010年06月09日(水)

  2010 6/8 (tue) 19:30pm
たらたらと雨が降っていた


チカゴロ「英語ができるようになりたいなあ。努力なしで」と想っている。
英語の歌詞を直接体感したいし
ボブディランの「日本語訳不能」ってヤツを読めるようになりたい。
映画も字幕なしでみたい。
だけどオレは英語がまるっきりダメダメだからなあ。

不思議の国のアリスの本は日本語訳が大変らしい。
様々な翻訳者がやっているけれど「ある箇所」はヒトによってまったく違う。
たとえば。
「ハシ先生が橋の端っこを歩いている」という文章は
外国語に訳すのは(その語呂合わせを)至難の業だ。
Teache HASHI is walking birdge edge (適当マシーンです。。)
じゃあなんにもおもしろくない。
アリスには「she see sea(彼女は海を眺めてる)」みたいのがたくさんあるらしい。

去年の暮れに死んだオヤジは通訳だった。
リタイアした後も外国人犯罪者の通訳なんかに行っていた。
詩人は夜明けにガムを噛むのあとがきの英訳もオヤジだ。
ミチコママが自慢げに
「フランス語の発音は日本でも5本の指に入る」と。
(ベスト5の算出方法は適当マシーンだと推測できる。
 まあ交通公社のフランス語部長だったから500本の指には入るかも)

オヤジが中学の時に戦争が終わった。
「敵国語」と禁じられていた英語に興味を持ったらしい。
オレは好きなエピソードがある。
オヤジは高校の時には英語の虜になっていた。
「生の英語」が聴きたいのだけれど当時はそんな機会はまずない。
オヤジは「米軍の日本駐屯地」みたいなところに電話して
間違えたフリをして出た相手と喋りまくっていたと。
時代背景を考えると「1歩間違えたら」なカンジがオレは好きだ。
そのあたりの「行動パターン」は
しっかりとオレに遺伝されているような気がする。

誰か中学校の英語の教科書くれ。
ぜひ。

またライブの日々だ。
大変だけれど「夢中になっている時間」は楽しい。
ライブはホントに「生きてるカンジ(LIVE)」がする。
いつか海外遠征のために
自分の名曲の数曲は英語で唄えるようにしたい。

オレは「英語の感覚」が好きかもしれない。
たとえば。
「24時間年中無休/いつも開いてるよ!」ってのは
「 allways open! 」じゃなくて 「 never close 」になる。
確かに「いつも開いてる」より「決して閉まらない」方がロックだ。
映画「 DIE HARD」も「死ぬのが困難→不死身」みたいになる。
だから映画を見てて
「役者が首を横に振っているのに字幕では「はい」みたいのがわかりたい。
なんか二重否定なカンジを理解したい。
努力なしで。

数年前にドラムの湊が誕生日プレゼントをくれた。
「オレが持っている中で
 いちばんよくないツェッペリンの海賊盤だ」と。
プレゼントを入れてくれた袋に手書きで英語が書いてある。
「 tight but loose 」
湊いわくこれがいちばん音楽に必要なモノだと。
オレが訳すと「びしっと。でも自由に」かな。

英語ぺろぺろのヒトあってますか?

感想などはブログのコメントへ。

achooooo!
 

せーじをカタル詩人 2010年06月02日(水)

  2010 6/1 (tue) 23:40pm
晴れていたが外へは出なかった。


ぽっぽー。

基地の問題や政治が気になって
チカゴロはニュースやインターネットを眺めている。

オレは「鳩山首相のままで最低2年」と想った。
アメリカの大統領は4年やる。
自民党では総理大臣がころころ変わっていた印象がある。
もちろん選挙で民主党が野党になれば別だけれど。

60年以上続いた自民党の政治と負の遺産。
たった8ヶ月でそう簡単にすべてが解決するわけじゃない。
カオル部隊政治チームの報告によると
「鳩山首相は沖縄問題にとても詳しい方」だと。
野党時代にも「地元北海道への移設」を考えていたらしい。

テレビでやっていた特集を信じるとして。
今回の鳩山首相の「沖縄の県外への腹案」というのはグアムだったらしい。
グアムは「米軍ウエルカム」で春頃に
日本とグアムの担当者が実現に向けての会合を決めていた。
だが。
日本側の「誰か/外務省や防衛省」のひと声で会合は中止。
5月末日というのはあり得た話だった。

かつて田中眞紀子さんが「外務省はお化けばかり」と言ったように
そのテクノクラートたちの優秀な頭脳でつくりあげた「仕組み」は
何重もの罠があり簡単に中心まで行けないのだろう。
それを裏付けるかのように昨日テレビのインタビューで
カオルが想うまともな政治家渡辺恒三さんが
「今回の基地の問題はわたしが総理大臣をやっていても
 同じ結果になった」と言っていた。
ただの「鳩山首相をかばう」だけの発言かもしれないけれど
オレには「外務省や防衛省の奇々怪々な壁」を表現していたように感じた。

カオルのように参議院と衆議院の違いもわからない政治音痴に
いったい何がわかるのかと言われれば黙るしかないのだが
「すぐに入れ替わる大臣や議員に比べて
 長く役人としてその省庁で働く官僚たちの
 自分たちが得をする図式をつくる感覚」はわかる。
実際にある時期から日本を動かしていたのはそのテクノクラートだろうし。

とにかくオレは民主党にまだやって欲しい。
賛否はあるけれど「こども手当/日米密約の暴露」だけでも
実現できたのだから。


沖縄から基地がなくなったら
どのくらい日本は危ないのだろうか?
実際に北朝鮮から日本へミサイルを撃たれている。
領土に着弾はしていないが何発も撃たれている。
韓国と北朝鮮もなにやらキナ臭い。


オレは想う。
「日米安全保障条約」というモノがすでに古いのではないのかと。
日本の憲法の九条は素敵だ。
「我々は戦争をしないし協力もしない」
ガンジーのように崇高だ。
世界中が同じ憲法を持てば理論上は戦争はなくなる。

しかし時代は変化している。
もしミサイル攻撃などがあった場合に対処できる機械や方法。
アメリカに頼らない日本独自で守り抜ける新しい平和なシステム。
そういうモノをつくるコトに日本人は優秀だと想う。
いったん「古い安保を破棄して新しくアメリカと条約を結ぶ」がいい。
だがこれは「強大な壁」があるのですごく難しいだろう。

オレは左翼でも右翼でもアナーキーでもない。
資本主義も共産主義も性に合わないただの「快楽主義者」だ。
レインと太陽に憧れるただのバンドマンだ。
本音を言えば自分が遭遇するコトも前提に
北朝鮮に日本本土にテポドン3発ぐらい撃って欲しい気分だ。
それぐらいじゃないと国民も政治家も目が醒めない。
携帯アラームじゃ寝ぼけたままだ。

「沖縄の基地問題を日本全体の問題として考えよう」と
各県知事を集めた会議があったけれど
欠席のヒトが少なからずいたことは本当に残念だ。

1960〜1970代の安保条約の時に
学生の活動家たちが座り込みやデモや武力闘争をした。
金子マリさんも参加したと言う「ベトナム戦争反対」にも
多くのヒトが参加した。
結果は実らなかったけれど
そういう「エネルギー」が足りない。ガッツのないガキが多い。
韓国の学生のメールから同士が増えて内閣総辞職させた例もある。
バンドマンも無関心だ。
いまジャパンは最悪なんだ。
破綻するかもしれないし戦争に巻き込まれる可能性もある。
ヒトビトに危機感と想像力がものすごく欠如している。
テレビに飼いならされて
ヤツらの思惑通り「忠実な消費者」として育っている。

なにがせつないって。
オレがいくら吠えてもなにも変わらないということだ。

あるオトコに「百姓一揆を考えている」と言われ
オレは「タイミングが合えば必ず参加する」と答えた。
いつどんなカタチでなにをやるのかわからないけれど
指をくわえて「うやむやになっていく様子」を眺めているのが
できない性分でね。

オレが意地になって歩いている道は獣道だ。
ロックの先人たちが開拓した道だ。
だんだん通るヒトが少なくなっている。
清志郎さんが大人気の頃にはヒトであふれていたというのに
いまじゃ草がぼうぼうだ。

オレはトレンディーじゃないし古いんだ。
時代が変わってもオレの「ココロの大事なところ」が
迎合することをかたくなに拒んでいる。

だから唄い続ける。
ただ唄い続ける。
それ以上でもそれ以下でもない。

ロックの申し子たちよ。
使い捨てライターのような唄をつくるな。
おのれの身の程を知れ。
そして身の程知らずをするんだ。
はみ出るぐらいがちょうどいい。

そういう不器用な暑苦しさがロックンロールなんだよ。
ジャンルじゃねーんだよ。

じゃあ。
ライブの練習すっからよ。

またな。

おりゃ
 


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