カオルの不定期日記



ハリー詩人 2010年02月28日(日)

  2010 2月末日(sun) 18:00pm
夕方から晴れた。


今年になってからチビチビと小説を書いている。
内容などすべては内緒だ。
どれぐらいの長さになるかわからないし
いつどんなカタチで発表するのかもわからない。
ずっと封印してきた「、」を小説では使うかもしれない。

書いている時間は楽しい。
ただ「書く気分/状態」になることがまだ意図的に出来ない。
文章の世界に埋没して
登場人物たちに好き勝手に喋らせたり。
夢中になれる。

「読んでくれるヒトたち」のことはまったく考えていない。
ページ数なども考えず横書きでやっている。
今日は昼過ぎからずっと書いていた。

腹が減ったので
金沢の弟子が送ってくた肉類などをむさぼり食った。

弟子は元ストリートスライダーズのハリーのCDも送ってくれた。
この「狼煙(のろし)」という2枚組のアルバムは
とてもエキサイティングでオレは感銘を受け何度も聴いている。

昔からハリーの詩は好きだったが。
このアルバムから「日本語のロックンロール」の
「最高峰/斬新/未来」を感じた。

オレはもう20年ぐらい前から想っていた。
「音楽のハードや音などはデジタルの台頭により
 進化というかドラスティックな変化を遂げている。
 しかし。歌詞はどうなんだ?
 まったく進歩していないじゃないか。
 相変わらず手垢にまみれたコトバや言い回し。
 くだらないラブソング。応援歌。リアリティのないメーッセージ。
 現状ではまだコンピュータでは歌詞は書けないけどそのうち」

本当にほとんどの歌詞は昭和から止まっている。
テーマも単語も語り口調も。

ハリーの狼煙はその意味おいてまさしく革命的だ。
ロックンロールの重要なファクターの「ひとつ」として
「反抗/攻撃/全否定」というのがある。
このアルバムの「サウンド」は逆行というかかなりスタンダードだ。
初期のローリングストーンズのようにストレートで無骨でキレのいいビート。

だが歌詞はものすごく斬新だ。
まず「カタカナ」や「英語」が非常に少ない。
ロックンロールバンドはカタカナや横文字が多い。
パーティー/ハイウェイ/シャンパン/ジャンプ/tonight/シャウト
ブーツ/エンジェル/革ジャン/ウォッカ/キャデラック/シャンデリア

「狼煙」では「そういう類いの単語」は多分「意図的に避けられている」な。
差別用語/放送禁止用語/江戸の古典落語/四文字熟語/昭和初期の言い回し。
暴力的で攻撃的で艶やかでスリリングな単語の選択と組み合わせ。
これを「文字」で読んだら嫌悪感のヒトも多いと想うが
「歌詞」だからやはり「耳で聴く」じゃないとダメだ。

「ハリーという詩人」がつくった歌詞。
こういう単語たちは乱雑で破廉恥になりがちだが
ハリーの「知性/インテリジェンス」がそれを「作品」にしている。
そして「ハリーというシンガー」が唄うと破壊力が増す。

オレは「曲名」だけでときめいた。
狼煙/万引き小僧/無頼白痴/三白眼の油売り
天邪鬼/15%の生き地獄/足折れ案山子/おけら人間もどき etc…

ハリーは狼煙でも唄っているが
「もう徒党を組むのをやめよう。古い時代にしがみつくな。バカばっかだ」
「オレはオレで勝手に群れなんてやだから単独行動するからよ」という「姿勢」。
このアルバムは「徹底」している。
ラブソングもバラードもない。
ゴリゴリのロックンロールでかたっぱしからぶち壊していく。
自分を取り巻く「音楽業界」や「過去の栄光」さえもぶった切る。
そうとう「覚悟」がいる。
かっちょいい。

毛並みのいいおおきな黒馬にまたがったハリー。
派手なペイズリーのスカーフを巻いて
狼煙のけむりの中から猛スピードで駆け抜けてくる。
戦国の猛者のようにエレキギターを槍のように掲げて
有象無象を切り捨てながら目指す腐れ大将のクビ。

そんな「画面」が浮かんでくる。

ぜひ若いバンドマンたちには聴いてもらいたい。
ロックンロールをやっているのならぜひ。
なにも感じなかったらキミタチは「別の社会」へ行った方がいい。
電気のムダだ。

「カオルの歌詞」についてもこのアルバムからいろいろヒントをもらった。
たとえば「月並み〜moon wave」でどうしてもしっくりこない「1行」がある。
そこだけライブのたびに変えるのだけれど「ゴールじゃない」カンジがする。
そうか。
もう「途方に暮れている場合じゃないんだ」と。
途方に暮れるというコトバも手垢まみれだし
だいたいリアルじゃないんだな。
オレは「しっくりこない理由」がわかった。

とにかく血が沸騰したよ。
こういう「大先輩」の存在も嬉しい。
オレは音楽雑誌を始め「雑誌やニュース」を知らないから
この「狼煙」がどんな風な影響を与えたのかはわからない。
臆病な世間は「すっと流した」のかもしれない。
でもオレの胸はざわざわした。
「ヤベーな。オレもなんかやんねーと」

詳しいヒトがいたら教えて欲しい。
ハリーさんはタバコを吸うのか?
吸うとしたら銘柄は?

よっしゃ。
小説の続きだ。
あ。
レインのトイレ掃除だ。

あちょー。
 

お鈴詩人 2010年02月24日(水)

  2010 2/23 (tue) 18:30pm
昼間は暖かかった。


何年か前の日記「ショパン対なんとか詩人」に書いたフレーズ。
「ショパンも21世紀のジャパンのろくでなしが
 騒音対策に自分の曲を使うなんて想像しなかっただろう」

こういうタイプの表現はわりと使う。
「もし20年前に占い師から
 カオル君は20年後風呂なしのアパートで黒猫と暮らしていると言われても
 オレはたぶん信じなかっただろう」

村上春樹さんの「1Q84」を最近読みはじめた。
まだ冒頭の1章だけしか読んでいないのだが
上記のオレが使うタイプのことを
もっと洗練されたカタチで
小説の重要なファクターとして(たぶん)使っている。
チンピラ詩人と天才小説家を比較してもしょうがないのだけれど
オレは「あ〜あ」とちょっぴり残念だった。

ブイーン

ひさしぶりにイタル画伯に連絡をとった。
「絵本はまだちょっとしか描けていない」とのこと。
仕事が忙しくてそのあいだでやってもらっているからな。
いちおうイタル画伯には
「4月に発売したいから〆切は3月の前半だけれど
 あまり気にしないで納得のいく作品を」と伝えてある。
DVDはちびちびやっている。

たぶん誕生日ワンマンまでの完成はむずかしい気がする。

特にバブルの頃は
「発売日を先に宣伝して
 大慌てで作品を突貫工事」みたいのがあったけれど
オレはそんなバカなことはしたくない。
すくなくとも「画家を急かす」なんてマネは。

ブイーン。

今日はひさしぶりに料理を作った。
豆もやしのみそしると
ひき肉とたくさんの野菜を入れた中華丼みたいなヤツ。
ちょっと片栗粉がおおかったな。
むかしツアーで広島で食べた汁気がとても多い中華丼がまた食べたい。

ブイーン。

ライブが近づくとヒマじゃなくて楽しい。
いつ発表するかわからないけれど
「カオルの鬱体験を振り返って」みたいな唄をかきたいと想っている。
タイトルは「セーフティーブランケット 安全な毛布」が候補。
メロディーは出来ている。

ブイーン。

それにしてもお鈴はメダルメダルとうるさいな。
どうしてこういうコトになると「国のため」みたいになるのだろう。
誰だって競うのだから「いちばん」になりたいだろう。
五輪ピックはいつだって騒がしい。

ブイーン。

レインはいまテレビをみている。
どうも「トヨタ車のリコール」に興味があるようだ。


まったね。
 

徹夜中詩人 2010年02月17日(水)

  2010 2/17 (wed) 19:30pm
寒さには耐性があるのだろうか。


徹夜中。
これを書いたら映画をみて眠ります。

「演歌のベースラインは3パターンしかないのでは」と。
隣人がよく爆音で演歌を聴いている。
いや。
そんなにおおきな音量ではないかもしれない。
だって「夫婦の会話/イビキ/電話の音」などがよく聴こえるから。

もしかして隣人は「3曲だけをエンドレスリピート」の可能性もある。
とにかく単調なベースラインだ。

まあこちらもロックガンガンだったり
レインにゃままままま〜だったりだから
「いってこい」ってカンジか。

しかしレインってばよ。
ネコなんだからたくさん寝なきゃなのによ。
まあうとうとはしてるんだけど
トイレいったり洗物してたりするとトコトコついてくんだよな。
夜明け前に窓あけてくり〜とかさ。
レインってばよ。


趣味の徹夜というのは
なんとなく「達成感/カタルシス」みたいのがある。
日記も書いた。散歩もした。医者にも行って採血をした。
ライブの誘いの電話があった。打ち合わせの日時も決まった。
なんだかそれで「今日は充分がんばったなオレ」だ。


カオルのキッズ用携帯「イエロードラゴンの内臓辞書」によると。

エロス 1 ギリシャ神話の愛の神
    2 プラント哲学で、美と善の理想を求める、純粋に精神的な愛
    3 肉体を求める、性的な愛

わりくねーな。

いいか。
新バンドは「 eros 」で。

4/5のワンマンに初披露します。
エロスを「最初から見てるファン」募集中。

アシタは夜から都内某所で密談食事会だ。
あさってはエロスのリハだ。

今宵は絶海の孤島の動物のように静かに深く眠るのだ。

あ。
そうだ。
夜明け前に地震あったぞ。
レインハウスかなり揺れました。
レインはアクビしてました。

おしまい。

すみおや。
 

趣味の徹夜詩人 2010年02月16日(火)

  2010 2/16 (tue) 22:00pm
昼間は曇っていた。いまは小雨が降っている。


今年になってライブから次のライブまで間があくことが多かった。
そんでなんとなく「趣味の徹夜」をはじめた。

いつもは23時過ぎにクスリを飲んで24時には寝ていた。
朝はレインのご飯の8時には起きている。
規則正しくていいのだが
たとえば映画をみるとき。
「この映画は130分だから2時間ちょっとか。
 いま21時過ぎだから観られないなあ」と。
ふむ。
しかし次の日もその次の日もスケジュール帳にはなにも書いていない。
じゃあ少しぐらい眠るのが遅くてもいいのでは。

そんなカンジで趣味の徹夜をたまにするようになった。
うとうとしてきたらそのままうとうとする。
でもやはり「自然には眠れない」んだな。
1時間もしないで目が醒める。
すると妙にスッキリしていて腹が減っている。
よし。なにかつくろう。

キノコの炊き込みご飯が多い。
栄養があるのかわからないけれどキノコは安くていい。
もやしもいろいろ使えるから好きだ。
豆もやしのみそ汁をつくる。ゴミがでないのもいい。
これで次に寝るまでしのぐ。
ふりかけご飯やカツブシご飯も多いがかつおぶしはもうなくなった。
来客でもなければあまりちゃんとしたモノはつくらない。
だからタンパク質とカルシウムが不足しているはずなのだが
病院の血液検査では問題なしだ。

徹夜中にあまり生産的なことはしない。
また電話やメールなどもしない。
映画をみたりゲームをしたり雑文を書いたり。
ずっと音楽を聴いてぼんやりしたり。

朝焼けをぼんやりと眺めながら飯を食う。
レインもなんとなくつきあって起きている。
寝ていていいのだよと言ってもなんとなく。

iPodをしてゴミを捨て散歩をする。
出勤するヒトとすれ違いながら公園へいく。
同じように行き場のない人々がベンチでぼんやりしている。
確かめてみたわけではないけれど
そのヒトたちは「遠い昔を想い出している」ような表情だ。
たとえば集団就職で上野駅についたときのコトなど。
死んでしまった妻や妻とはじめてデートで観た映画のコトを。

家に帰ると掃除をする。
レインは発泡スチロールでツメを研ぐからその破片がけっこうある。
こたつの下に黒いカーペットを敷いてあるので目立つ。
ブログを書いたり次の準備をしたり。

そして銭湯にいく。
カラダをすみずみまで洗いサウナにも入る。
電気ビリビリのお湯も好きだ。
コインランドリーから洗濯物を取り出し帰り飯を食う。
そんな風にしているとすぐ陽が暮れる。

アタマはずっと覚醒している。
特にハイでもない。
指定された時間に抗うつ剤をのむ。
時間をかけてコナコーヒーを煎れる。
オリンピックには興味がない。
寒い時には390円のラーメンを食べにいく。
オレはいままで食べたラーメンでこの店のヤツがいちばん好きだ。
ニンニクを山盛り入れる。

趣味の徹夜はそんなに楽しくもないけれど気に入っている。
しかしただでさえダメな日付や曜日の感覚がなくなる。
今日は精神科の日だったのだが完全に忘れてすっぽかしてしまった。
でも趣味の徹夜をしているから数日分クスリがあまっている。

今夜もするつもりだ。


じゃいなら。
 

分別詩人 2010年02月12日(金)

  2010 2/12 (fri) 15:00pm
朝はみぞれが降っていた。


朝からリハをしてレインハウスに戻った。
散乱していたビニールやチョコの包装紙や
ポストにはいっている不要なチラシを掃除していた。

レインハウスにノックの音がした。
呼び鈴がないから。
しかし「約束以外のノック」というのはあまりよくない。
返事をしたら区役所のヤツだった。

オレの今朝出したゴミを開封したら
分別がちゃんとされていないので「指導に来た」と。
これは4段階あり最後までいくと罰金2000円だと。

お菓子の包装紙や試し刷りした歌詞カードやピザ屋のチラシは
「燃えるゴミの日ではなくて紙のゴミの日だ」に違反したらしい。
鼻をかんだティッシュや100円ライターは燃えるゴミらしい。
ややこしい。

「分別の鬼」になるか「罰金2000円のオトコ」になるか
いま迷っている。
まあオレを特定できるモノを捨てなきゃいいんだけど。

エコロジーというのは本当に大切だと想う。
でもそれを「うたい文句」にしているファーストフードが
冷暖房ガンガンだとわからなくなる。
「マックは夏でも28度。薄着でゴー」とかにすればいいのに。
エコロジーな会社の重役もガソリンの車で出勤しなければいいのに。
そもそも政府がエアコンの温度を「夏は28度だけリモコン」にすれば。

ってわけにはいかないし
賛同の拍手もないのにこういうことを書かなきゃ気が済まないカオルであった。


「レインブラック氏妄想録より 抜粋」

〜わたしはなんの根拠もなく「天国はある」と妄想する。
 宗教学的にも科学的にもまったく説得力もなく迷信する。
 地球上にうまれたすべてのいのちが死んだら
 それはかならず天国にいく。
 時間のない穏やかな場所で地球上での役目を終えたたましいは
 ずっと安らぎの中で暮らす。
 逢いたかったたましいにも逢える。
 犯罪者もみの虫もネコもイルカも大臣も売春婦もみんな天国へ行く。
 ふりそそぐ暖かなヒカリ。
 すべての罪もなにもかも解毒される。
 いのちたちは「本来のいのち」に戻る。

 またわたしはなんの根拠もなく「地獄」を否定する。
 絶対的に圧倒的に暴力的に地獄を認めない。
 だから「地獄に堕ちろ」や
 「悪いことをしたら地獄行きだ」や
 「この神を信じたら天国。そうじゃなきゃ地獄」を断固否定する。

 いまわたしたちの暮らすこの世界こそ「地獄」なのだと想う。〜


しかしライブとライブの間がひと月あくと本当に退屈だ。
スリルも刺激もなく「しあわせか?」と訊かれれば
うなずくしかないのだけれど生きている気がしない。

もうすぐライブだから嬉しい。


また毎週。
 

ダウト詩人 2010年02月09日(火)

  2010 2/9 (tue) 16:00pm
今日は暖かい。


「ダウト」という映画をみた。
元々「舞台劇」としてハリウッドでやっていたらしい。
まずムリだと想うけれどその芝居をみたい。

オレにとっては興味深く考えさせられる映画だった。
最初はラストシーンになんとなく不満があったのだけれど
日が経つにつれて「あれしかないんじゃないか」と。
結局すべての謎は謎のまま。

ただあの映画の「根本」には「疑い/嘘/ダウト」がある。
オレにはそう感じた。

オレは常日頃「自分の美学」というモノを想っている。
便宜上それを軸に信じて行動している。

オレだけではなく他のヒトもそうだろう。
自分の価値観/正義/誰かの教え/こう考えなければ生きていけなかったなど。

あの映画は「カオル君。その美学自体を疑うんだよ」と示唆しているような。
「疑い」というコトバをオレは「推敲/他の考え方を学ぶ」と置き換える。
発想。想像力。柔軟性。

オレは詩や文章を書く。
なんども見直していい曲になったと次の日唄うと
「ありゃりゃ?」というコトの方が多い。
この文章も慎重にコトバを選んでいるつもりだけれど
誰かを不愉快にさせてしまうかもしれない。
そういう「疑い」を持ち「おそれ」を抱えて唄う。

25年前は長髪というだけで出来るバイトは限られていた。
スタジオ/レコード屋/肉体労働など。
まして髪の色を変えたりピアスなどしていたら人間扱いされなかった。
入れ墨をしているのは極道とチンピラだけだった。

だけど20世紀の終わりには
大半のヒトが髪の毛を茶色にしてピアスも入れ墨も流行った。
価値観なんて20年で変わってしまう。

子供の頭を撫でると母親が猛烈に怒る国もある。
ある人種は少し高いところに子供をのせてこういう。
「さあ。パパが受け止めるからジャンプしてごらん」
子供はがんばってジャンプする。
受け止めるはずのパパは動きもしない。
「いいか。ヒトを簡単に信じちゃダメだぞ。家族でも」

ほとんどの戦争は「それぞれの正義」の戦いだ。
戦争では相手を殺せば殺すほど誉められる。
歴史とは戦争の歴史でもある。

いい映画だった。
どの役者も演技が素晴らしかった。
「演じること」に対して尋常じゃない情熱と才能のあるヒトたちだ。


それでもオレは最終的には「自分の生理的な感覚」を信じる。
あるとき音楽を聴く。
3秒でココロを奪われる。
誰のなんという曲かわからないけれどしびれる。
そこに「理屈」はない。
ただ「感じるだけ」だ。

「事実と真実」は本当にむずかしい。

あるオトコが殺人の容疑で逮捕される。
決定的な証拠はなくオトコは無罪を主張する。
「オレはやってない。なにも知らない」
しかし状況証拠はそのオトコに不利なモノばかり。
結局オトコは「殺人罪」と判決がくだされる。
それは「事実」だ。社会的な事実。

でも「真実」はわからない。
オトコは本当にやっていないのかもしれない。
本当のことは殺された相手とそのオトコと
もし別に犯人がいるのならそいつしか知らない。

えん罪。無実の罪で苦しんでいる「とりあえず受刑者」もいるのだろう。

前にこの日記にも書いたけれど
もしも記憶がまったくなくなったとして。
また同じヒトを好きになるのだろうか?

変な映画があった。
ある事故で相手と脳が入れ替わった。
A君の脳はB君へ。A君のカラダは変わっていない。
B君の脳はA君へ。B君のカラダも同じままだ。

さてこれで奥さんが困った。
「わたしは。彼のルックスが好きなのか。脳の考え方が好きなのか?
 カラダや顔は別人でも優しくてあのセンスが同じなら。
 でも。なんだか他のヒトに抱かれているようで落ち着かない」

現実にはまずあり得ないことだろうけれど
いろいろ「疑いだす」とキリがない。

だいたい。
この日記は。
本当に「カオルという人間が書いたモノか」はオレしかわからない。
「あの芸能人本出してバカ売れだけど本当に自分で書いたのかしら?」

レインは疑い深い。
人を信用しない。
それでいいと想う。

またね。

ブブブイーン。
 

私的某原始人(暴言詩人) 2010年02月04日(木)

  2010 2/4 (thu) 19:50pm
春というか夏が待ち遠しい。


オレには大好きなアーティスト/表現者がたくさんいる。
仲間や先輩にもいれば海外やすでに死んでしまったヒトも。
音楽家/絵描き/役者/スポーツ選手など。

オレはサラリーマンの生活や組織や社会に属している人々の
暮らしをよく知らないしそのストレスもあまり知らない。
でもまったくストレスを感じないで暮らしている日本人なんて
ものすごく少数のような気がする。

ミュージシャンは唄う喜びや演奏する楽しさもあるけれど
レコーディングや作品をつくったり
人前に出ることで「負荷」がかかる。まあストレスだ。
だからさまざまな方法でそのストレスを解消する。
その点は社会人のみんなとあまり差がないような気がする。

あくまでもカオルの私見だが。
オレは想っている。
「好きなアーティストや表現者や選手などが
 素晴らしいモノをできるだけながくみたい。
 彼らも人間だからなんらかのストレス解消をするだろう。
 それが法律違反でも道徳的によくないものでもオレは関係ない。
 それはそれぞれの個人的な問題だ。
 オレは素敵なモノをただみたいだけだ」

そう想っている。

さて。
朝青龍が引退した。
とても残念だ。

暴行事件のようなものがあったらしい。
テレビで報道されている情報しかないが
車の中でモンゴルのトモダチと口論をしていた。
もしかすると白熱した「議論」だったかもしれない。
なにしろモンゴル語なので運転手には内容はわからなかった。

ふたりとも酔っていた。
朝青龍が意図的に殴ったのか?
それとも動きがオーバーになり結果的に相手の鼻に当たったのか?
むしろ相手が加熱したところを静止する為に。
すべては憶測だ。

横綱の腕力はものすごい。
それが折れやすくてどんな格闘家でも鍛えられない鼻なら骨折もするだろう。
酔って「訴えてやる/かまわねーよ」などあったかもしれない。
でもそれは「ふたり」の問題だ。

確かに相撲界では古くから「心技体」というモノを横綱の条件としている。
技やカラダはわかりやすいが「ココロの品格」には基準がない。


たとえば。
会社の同僚で飲みにいく。
会社はこうあるべきだとか議論になったりケンカになったりする場合もある。
役者さんたちも演技についての話がこじれて殴り合いになったりする。
井上陽水さんは大麻で逮捕された。
スマップの草gさんも酔って騒いで叱られた。

でも誰も引退をしない。

あたりまえだ。


オレは昔からほんとうにわからないことがある。
それは「責任を取ってやめる」ということだ。
責任を取るならやめてはダメだと想う。
必死で3日で失った信用を3年かけて取り戻すべきだと。

個人的にはウツになったり
「相撲界の理想とする横綱像」とまったく違うやんちゃな朝青龍が好きだった。
耳を切るゴッホもアル中のバッハも男色家のモーツアルトも好きだ。
(シューベルトかもしれないし逆だったかもしれない)

この文章の責任はカオルにある。
これはカオルのHPでカオルが勝手に書いたモノだ。
読者の中にはさまざまな感想はあるだろうけれど
「レインのブログ」にだけは書き込まないで欲しい。
オレは議論が好きじゃない。

ただ「政治家/役人」は別だ。
アイツらは「国民のしもべ」なんだろ?
なんであんなに偉そうなんだ?
悪いことをした政治家や役人は「責任とって辞職」じゃなくて
「全財産の9割りを財源に」だ。

今日は実家でマトモな食事をミチコママにご馳走になった。
上記の意見はミチコママの意見も少し反映されている。

では。

あちょー。
 

脱皮など詩人 2010年02月02日(火)

  2010 2/1 (mon) 21:20pm
雪だ。


1月16日の下北沢。
敬愛している金子マリさんがステージでこんなことを言ってくた。
「カオル君も今日からオトコになったね。
 立派な詩人だ」と。
オレは単純に嬉しかった。
それがカオルファンに対するリップサービスだとしても嬉しかった。

日が経つにつれて嬉しさより「事の重大さ」に気がついた。
相撲でいえば幕内昇進。落語なら師匠から真打ちとして認められる。
2軍の野球選手が1軍になる。

そうか。
「ここからがはじめてスタートなんだ」と。

オレがダサいライブやかっこわるければ認めたヒトにも恥をかかせる。
オレはマリさんに認められる為でも
マリさんの為にうたっているわけではないがやはり気にはなる。

でも結局のところ「いい詩。いい曲を一生懸命うたい続けるだけ」だから。


昨年末ぐらいからそのライブの翌週ぐらいまでに
いつもカオルの相手をしてくれていた約5万人の「女性たち」が
目配せして申し合わせたように消えてしまった。
オレは「どいつもこいつ。去る者追わずじゃ」と不貞腐れていたが
最近どうも塩梅がよくない。

考えてみれば「まったくのひとりの状況」というのを
オレは幸か不幸かほとんど経験していなくて少々へこたれている。
電話もメールもぜんぜん来ない。
レインとしか話さない日も増えた。
先の丸くなった鉛筆でその日その日を塗りつぶしているような日々。

レインブログでは「芋虫がサナギになり脱皮して蝶になったばかり」と表現した。
新しい羽に慣れていないのだ。
地べたを這いずり回り暖かいサナギの中で育った。
気がついたら自分に羽が生えている。
なぜだろう?
さっきまで甘い夢を見ていたのに。
オレは蛾だか蝶だかわからないけれど羽が生えているぞ。
うむ。
これを使って飛べということなのだろうが。
正直怖いな。自信がない。
でも飛び回らなきゃ甘い蜜は吸えないんだぞ。

そんな心境だ。

毎日同じものを喰い風が吹くのを待っている。


昨夜は徹夜になっていままでずっと起きている。
なんとなく「クスリを飲まなくても眠れるのでは」と想った。
夜明け頃に数十分ぐらいまどろんだだけだ。

朝米を炊いて米だけを食べた。
ちょっと散歩や買い物に行ったら雨が降って来た。
親父の形見のブーツ風長靴が臭かったので昨日洗ったんだ。
だから靴下を足袋のようにしてサンダルを履いていた。

徹底的にびしょ濡れになった。

遭難するかもしれないと想ったが
さっき雪の中を銭湯まで行って来た。
とても暖かかった。

こういう時に新聞の配達などはきついだろうな。
野良猫たちはどこでしのいでいるのだろうな。
こんな夜にも争うヒトはいるのだろうか。

レインはいまヒザの上で眠っている。
とても愛らしいし暖かい。
が。
人間のメスネコの人肌が恋しい夜も。

また毎週。
 


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