カオルの不定期日記



冷房銀行詩人 2008年05月29日(木)

  2008 5/28 (wed) 19:50pm
オレにはちょうどよい気候だった。


三菱東京UFJ銀行のカードが使えなくなった。
どうやら「暗証番号の入力ミスが規定回数を超えた」ためらしい。
再発行してもらおうと銀行に行ったのだが
「再発行は元三菱銀行でやってください。
 ここは旧UFJ銀行なのでダメなんです」
そんなのしらねーよ。

ちゃんと「三菱東京UFJ銀行(元三菱)」と書いとけよ。
オレだってブログを「(元)鬱病詩人」にしたんだからよ。

オレが「ではこの近くに元三菱はあるのか?」と訊ねたら
「急いで歩いて7分ぐらいのところにありますけど
 もう15時ギリギリで間に合うかなあ」と
「三菱東京UFJ銀行(旧UFJ)」の警備員が言った。
「オレは早足で歩くから電話を一本入れておいて欲しい。
 いまから我が社にとって大切なヒトがそちらへカードの再発行に行く。
 ちょっとぐらい遅れても窓口を開けておくようにと」

ダッシュで銀行へ。
汗が3秒ほどで消滅するぐらいの冷房が効いていた。
3時を2分ほど回っていたのだがすぐに手続きをしてくれた。
カードを作ったときと現住所が違っていたりとかで
何枚も書類を書いたりハンコを押したり面倒だったけど
なんとか手続きが終わり新しいカードを選ぶコトに。
6種類ぐらいあった。デザインの差ではなく
「磁気 ICチップ クレジット機能 スイカなど」いろいろあった。
オレは「スイカも持ってるしカードで買い物をする気がない。
 だからとにかく普通のヤツにして欲しい」
「それですと有料です。1万ぐらいかかります。
そして磁気は危険があるのでICにこれから変わっていきます。
スイカとなんちゃらがついているカードは無料です」と。
オレはもうどうでもよくなって「それでいい」と答えた。
「他の銀行でカードを使用する場合は向きを逆にしてください」
そして最後の用紙に記入しているときに銀行娘が言った。
「あ。確かお客様はスイカじゃない方ですよね。
 用紙を間違えました。申し訳ございません」
「いいよ。書き直すコトを考えるとまた鬱病になるから
 スイカもチャージできるカードでいいよ」

時代はオレが想像している以上に進化していた。

新しくCDを作るための募金をライブ会場や振込をみんなに頼んだが
「なかなか振り込めない」という苦情がちらほらと。
「振り込めない詐欺」じゃない。「吸収合併の弊害」だ。

三菱東京UFJ銀行 渋谷中央支店(以前は渋谷支店だった)
345−2−4866087 カトウカオル

5月のアタマ頃の肌寒い日に某ファーストフードに入った。
冷房がギンギンであまりにも寒かったので
店員に「冷房が寒いのでなんとかして欲しい」と頼んだ。
そしたら「暖房」になった。

時代はオレが想像している以上にややこしくなっている。

ゴミ箱やポスターには「当店はエコロジーをする宣言」とかあった。
じゃあよ。
梅雨が明けるぐらいまで冷房なんかしない方がいいんじゃないか?
その方が「地球に優しい」ってヤツなんじゃないのか?
「当店は真夏日以外にクーラーは使用しません。
 真夏日でも28度を守ります。薄着でご来店ください」とかよ。

電車にも冷房がもう入っている。
オレは寒くてしょうがない。
みんなはたくさん働くから
「これぐらいがちょうどでカオルがバカ」なのだろうか?
スーツを着て働いている人達は
「5月はすでに暑くて冷房のないファーストフードなんか行かない」
そんな「統計結果」でもあるのだろうか?

「5月に電車の冷房は不自然だ」という意見に賛成してくれたのは
いまのところギタリストの橋本じゅんだけである。
じゅんは携帯を持っていない。
オレは携帯を持っているが「iモード未契約」だしカメラもついてない。
特に不便は感じない。

たぶん「社会のデジタル化 利便化」に
オレが興味はなくてむしろ「面倒だ」と感じるのは
たぶん「詩人」だからではないのかなと想う。
どんなに「道具」が進化しても
結局「詩を考える」のは「アナログの個人的な脳」だからだ。

ちなみにオレの携帯電話の「時計」は
デジタルのくせに「月に2分ぐらい進む」んだ。

類は友を呼ぶ。


あちょー。
 

無条件幸福詩人 2008年05月22日(木)

  2008 5/21 (wed) 21:50pm
そろそろサンダルの季節だな


6/11に「無条件幸福」というイベントを
渋谷O-WESTでやるコトになった。
メンバーは千綿偉功と大森洋平とカオル。

あらすじ。
2007年の冬。いまはなき「CLUB24 ファイナルイベント」の楽屋。
「音楽業界への専門的グチ」や「自分のダメさ加減」や
「社会適応力のなさ」についてそれぞれにモゴモガと喋っていた。
楽しかった。
いや。とても楽しかった。

誰かが言った。
「またこの3人でやりたい。社交辞令で終わらせたくない。
 この『楽しい雰囲気』は得難い。だからライブをしよう」と。
オレは言った。
「じゃあ梅雨明けぐらいに。
 そうだな。渋谷辺りだとお客さんも来やすそうだ。
 どっかいい場所ないかな?」
千綿が軽く言った。
「じゃあ渋谷のo-westでやりましょうよ。
 今日はブッキングの田村さんもいるから相談しましょうよ」と。
オレが重く言った。
「千綿よ。オレは人気がない。
 がんばってもせいぜい20人ぐらいしか呼べない。
 ウエストは確かに素晴らしいライブハウスだが
 結果的に『千綿の動員をアテにする』コトになるんだぞ。
 嫌なコトバだけど『千綿にメリット』はないんだぞ」
洋平が笑った。
「オレもそんなに呼べませんよ。でもウエストでやれたらいいなあ」
千綿が熱く言った。
「ねえカオルさん。そういうメリットとか損得抜きにやりましょうよ。
 楽しいなと想えるコトをやりましょうよ」
オレは言った。たぶん笑っていたと想う。
「ウエストでやろうなんてオレのクチからは絶対に言えないコトバだ。
 よし。やろう。千綿はオトコだ。楽しいコトをやろう」

その日のライブが終わって関内の駅まで3人は歩いて帰った。
誰もマネージャーとか車とかない。
自分の荷物は自分で持ち自分で切符を買って電車に乗った。

オレは「3人が30分ずつやって終わり」みたいな
「通常のライブ」じゃないコトをやりたいと想った。
アイデアをメールで回していたのだがオレは「直接逢って話すべきだ」と
「2/14バレンタインデー」に渋谷のウエスト事務所に招集をかけた。

「オレは今日まだチョコレートもらってない」と言うと
洋平も千綿も「もらってない」とのコトでなんか可笑しかった。

タイトルはオレが考えた。
「無条件幸福」 
唄える唄があり 唄える場所があり それを聴いてくれるお客さんがいる。
 それは無条件にしあわせなことなんじゃないか。
個人的には「千綿や洋平の呼んでくれたたくさんのヒトの前で唄えるなんて
 オレにとってはまさしく無条件幸福だ」という意味合いもある。

「ノベルティーグッズ」をつくりたいとオレは言った。
千綿が「わら半紙がいい」とブツブツ言ってたから
事務所にあった「コピー用紙なんかを包む茶紙」をびりびり切って
スタッフに朱肉と筆ペンを借りた。
「千綿。試しにこれにタイトルを描いてみてくれ」
千綿の顔が「書道家」の顔になった。
素晴らしいモノができた。
「やっぱりこんな時代だからこそ直接逢うって大事ですね」と。
「血判状にしよう」とみんなでサインを書き「指紋」を押した。
オレは人差し指。
千綿は中指。洋平は小指。
それを「ちらし」にして
当日来てくれたお客さんには「ホンモノの指紋」を押してプレゼントしようと。

その「原本」はココで見られる。
(下の「2008 6/11 O-west」の文字はカオルが描いた。
 すごくヘタでちびっと恥ずかしい)

「当日の企画」はいろんな案が出ていて現在調整中。
プロジェクターでリハーサルのシーンを流したらどうか?
お客さんから「質問」を募集し「回答コーナー」をつくろうか?
「修学旅行で上京中の○○中学の生徒を招待」はどうか?
お互いの曲をカバーして共演するのはどうか?
ステージを喫茶店風にして「唄ってないヤツはそこで待機」とかどうか?

どれぐらい実現できるかわからない。
でもオレたちは「ベストを尽くそう」と想っている。
この日記をアップすることで
「カオルは自分のハードルを上げてしまった」コトになる。
大変だが楽しい。

これは「カオルの個人的意見」だが
「iPod ダウンロード ユーチューブ」などの出現によって
「ライブの価値」が以前よりも「ガクンと落ちてる」気がする。
だからこそ「生のライブを観ることの価値」を
「再確認してもらえるようなイベント」にしたいと想ってる。

オレたちの役目は唄うコトだ。
リズムがないと唄えない。
お客さんの「道玄坂を昇る足音」「笑顔」「涙の落ちる音」。
そういう「リズム」がないと唄えない。

「誰にも聴いてもらえない唄」ほど悲しいものはない。

待ってるぞ。

じゃあ。
「カレンダーにしるし」をつけとくように。
 

7年目詩人 2008年05月02日(金)

  2008 5/1 (thu) 6:20am
とても暖かくてそろそろ靴下が鬱陶しくなってきた。

本日で「カオル断酒7周年目突入」だ。
個人的には自分の誕生日より大事にしている日だ。
カオル部隊の隊員たちはブログなどにコメントをよせるんだぞ。

なくしてあきらめていたお気に入りの毛抜きを発見。
すごく嬉しい。
オレは鼻毛が嫌いなんだ。
だから鼻の穴はいつもツルツルだ。
そんな性癖を「オレはおかしいのかなあ」と想っていたのだが
テレビで「爆笑問題の太田さん」が
「鼻の中に毛があって気持ち悪くないの?オレはツルツルだぜ」と。

ある「アクシデント」により
「詩人は夜明けにガムを噛む」のジャケットや音源のデーターが紛失。
「責任追求」していったところ「厚生省の年金データー的迷宮」に入り込み
「ああ。もうこれは廃盤にするしかない」とあきらめていた。

しかし。
天才画家イタルが「完全版の絵のデータ」を苦労して再現して贈ってくれた。
おまけにその封筒には「書き下ろしのすごくかっちょいい絵」も同封されてた。
録音してくれたPAの石川さんも古い機材をひっぱりだし
「再マスタリング」をしてくれてすごく嬉しかった。
ギャラを払おうと想ったら
「今度ライブに行った時にビールおごって」と。

オレは友に恵まれている。
先日も渋谷で客として3バカの山田晃士のライブを観る機会があった。
すごくよいライブで「この素晴らしい歌手はオレの友人なのか」と
なんだか嬉しくなってしまった。

オレが最後に泥酔したのは
7年前の渋谷の山田晃士のライブの打ち上げだった。

去年のこの日のHP日記「6年目詩人」に
「断酒時のあれこれ」を書いたので今回は書かない。
興味があるヒトや
「自分や仲間」で「酒でトラブル」なヒトはぜひ下記のアドレスを。
執筆者もヒドいアル中だったので説得力があるし
文章が非常に美しく丁寧だ。

http://www.ieji.org/misc/alcoholism.html

オレは過去に3度「断酒失敗」をしている。
最初は内蔵がやられた。日にバーボンを1本以上が始まった時期だ。
肝臓のガンマGTPという数値が800を軽く越えてしまい
(30歳代男性の平均は70前後)
それよりも膵臓の損傷がヒドかった。
担当医が情熱的なヒトで
「あなたが本気で酒をやめるなら全力で治療する。
 でもほとんどのアル中はちょっとよくなるとまた飲み
 またカラダを壊し病院に来るサイクルが短くなりやがて死ぬ」と。
でもオレも「スリップ(専門用語で再飲酒)」してしまい
その先生を裏切ることになってしまった。

2度目は幻覚幻聴の時代。
完全にアタマがイカレたオレを診てくれた先生は
「兄ちゃんはいま恥ずかしさと後悔と恐怖で断酒を誓ってるだろうけれど
 もうすぐ。そうだなあひと月後ぐらいに強烈な鬱が来るよ。
 それはどんなに威勢のいいヤクザモンでも耐えられなくて
 たいていは酒かクスリに逃げる」
その通りでオレは酒に逃げた。
しかも当時は「安定剤睡眠薬併用」だったの事態はもっとヒドかった。
その頃は昼にワインを2本飲み夜にビールを10本飲むという暮らしだった。

3度目の失敗の詳細は割愛するが
「自己憐憫とちゃちなプライド」が原因でスリップした。
その時の状況は故中島らもさんの
「今夜すべてのバーで」という名著があるので読んで欲しい。
その主人公と「50歩51歩」の暮らしだった。

アルコール依存症の治療法はひとつだけ。
それは「絶対に飲まないこと」しかない。
しかもそれは「マイナスだったものがゼロになるだけ」のこと。
断酒しても自分の「なにかに依存し逃げる傾向」が変わったわけではないので
「断酒後の生き方」のほうがずーーーっとむずかしい。

断酒仲間の元黒夢満園英二は断酒後のドラムの方が格段によい。
オレは「ジェネレーション」を書いてた時期はアル中の末期。
「誰ハロなど」は断酒後に書いた。

オレは美しくて贅沢なものが好きだ。
「飲んだくれて病気を正当化してる自分」は美しくない。
だからやめた。
「美学」に反するからだ。

オレは「断酒会 AA」などには行ってない。
性に合わない。
でも「断酒成功率」はクスリなんかよりもぜんぜん高いので
もし家族や自分自身で「酒のトラブル」があるヒトは1度行ってみるといい。

去年のいまごろのオレは欝で万年床の中で日々悶々としていた。
黒いネコを抱きながら。
「死ぬ日が知りたい」と毎日願っていた。

でも。
ちかごろは。
「生きていたい 生きるのが楽しい」と想うようになった。

うまく言えないけど「進んでる方向」は間違ってないと想う。

いろいろなファンやパトロンや家族や仲間に支えられて
オレは生かされている。

幸せ者だと想う。


おしまい。
 


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