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2006 12/7 5:50pm まだ外は暗い。朝陽がのぼるまであとちょっと。
午前5時に布団から出た。
そんでわりと冷たくなっている風呂につかった。 (温水プールぐらいかな) タバコを吸いながら空をぼんやりと眺めていた。 次第に明るくなっていく。 「夜」から「夜明け」にグラデーションで変化する空。 そのつかの間(2分ぐらいか)「限りなく透明に近いブルー」の空を目撃できる。 朝でも夜でもないほんの一瞬の淡い「神の休憩時間」のような。 「限りなく透明に近いブルー」は村上龍さんのデビュー作だ。 原題は「クリトリスにバターを」だったらしいがスタッフに懇願され変更したらしい。
have you ever seen the toumei sky?
まだ目撃したコトのないヒトは 「放蕩の朝帰り」のように「無為にはしゃいだ夜」のあとに できればこの寒い時期に見るのがいいだろう。 この色が沁みて来なければしあわせな証拠だし 「綺麗だな」と想えたらそれがしあわせだし。
しかし本当にカオルは「いいご身分」である。 働きもせず年老いた両親のスネをかじり暮らしている。 超ラッキーだと痛感する。 朝風呂なんてな。贅沢きわまりない。
朝というのは「始まるカンジ」がする。 なぜだろう? 湯につかりながら「本日もまだ生きている。長い一日が始まる」と想った。 そして夜は「終わるカンジ」がするな。 「いろいろが終わった。眠れる。生きてればまた明日」と。
カオルの偏見によればこの国に暮らす人々の大半が 「死を恐れている・老化を嫌っている・長生きに夢中」なカンジがする。 医療技術は進歩し続け病院はいつだって混雑しており 健康食品は売れ続け肌の手入れやダイエットやそんなこんなが散乱している。 寝たきりになったヒトやその介護をするヒト。 孤独死など問題もありビジネスチャンスでもあり オレに言わせれば強欲で不自然な時代である。
そんなに長く生きてなにをしたいのだろう? いろいろが発達しすぎて「無駄に平均寿命が伸びている」とカオルは想う。 オレはマジで「ある年齢を過ぎたら自殺する権利・安楽死」があってもいいと想う。
ピカソは80歳頃に3人目の奥さんに子供を産ませ死の直前まで絵を描いていた。 筒井康隆さんは正確にはわからないが70歳前後で「魚藍観音記」という 「発禁回収覚悟!」と帯に記された「過激な短編集」を書いた。 敬虔なる仏教徒のヒトは怒り狂うかもしれないが 「童貞歴千年の孫悟空が観音様とやりまくりそれ観ながら猪八戒が自慰行為をする」という内容。 「目的」を持って生きているヒトはかっちょいい。
カオルは「死」というものがまったく恐くない。言い切れる。 その後に「どうなるか」は「その時で」と考えている。 ただ「死に方(殺され方)」には恐怖がある。 生き埋めになったり監禁拷問されたりとかね。 先日「ヒドい頭痛で」と日記に書いた。 そのとき本当に「意識が薄れるようなカンジ」がして なんとなく「あ。オレもう起きねーかもしんないな。まあしゃーねーな」と想ったんだ。 とにかく「死ぬかも」と想ったらうっすら自然に笑みさえこぼれた始末だよ。
あのさ。「絶対」というコトバはさ。それの「正しい使用法」はさ。 「生あるものは絶対に死ぬ」だけじゃないのかなって。 「この土地絶対に値上がりする」とかの甘言で被害者加害者たくさんの強欲時代にさ。 「決まってる事」だからさ。ジタバタしてもしゃーないじゃん。 「ジタバタする目的」があるならいいけどさ。
「生きていればいい事がある・いい事もある」? 「絶対」だな。 信じていいんだな。
「老化」というのにもあまり興味がない。自然なコトだし。 オレは「実年齢より若く見られるケース」が多いけれど特に嬉しくないし そのための「努力」などしてないし努力に必要なカネなどもっておらん。 ただ最近「唄うのが以前よりしんどい」気がしてきたので ストレッチなり走るなり多少の「企業努力」は必要だろうと感じている。 ミックジャガーが酒を辞め清志郎さんが煙草をやめ自転車に乗ってる「わけ」がわかる。 金子マリさんは葬儀屋の娘だから「死に対して」独特の考えを持っており 本人いわく「結局のとこわかんねーんだけどね。17の時から星と死は不思議だよ」と。 そういえばマリさんは脇の毛を剃ってない。唄ってるとき目撃したけど自然だったな。
「八百万の神々」って言うよな。 まあ「800万人の神」というより「so many」ってことなんだろうけど。 オレたちがガキの頃はひとクラス「40〜50名」をひとりの先生が教えてた。 でもチカゴロは「それじゃ面倒見きれるわけない」って減ってきてんだろ? 英会話もマンツーマンが流行ってるらしいし。 だからマンツーマンとまではいかなくても 「八百万(やおよろず)」も神様がいるのだったらよく選べば? 「有名な神様」に集中すると「生徒が多くて眼が行き届かなくて」さ。 「必然的に手を抜かざるを得ない」で「授業料の割に『教え』がいまいち」かもよ。 「ひとりにひとつのマイ神様」の方がお得ですよ。
すっかり夜があけた。 もう電車は混み始めているだろう。 オレはコレから長めの散歩に行き「7のつく日」のスロット屋イベントに顔を出し そんで夕べ書いた童話の「朗読」を録音しようと想う。
オレが死んだら「その情報」はどうやってみんなに伝わるのだろう? メルマガか?風の噂か?有名になってたら新聞の隅に載るかもな。 そんなつまらないことはどうでもいいのだが。 レインを残して死ぬわけには断じてならんし もうちっと「カオルの作品」を多くのヒトに見せびらかしたいし。 とにかく現時点でオロオロしているのは 「レインの死後」カオルは「ふぬけ」になっちゃうんじゃないのかなというコト。 なにかを特別に愛するということはある意味つらい事なんだな。
じゃ。 帽子を深くかぶりコートの襟を立てダラダラと。 逝ってきます。
うそ。 行ってきます。
グッモ〜ニンヨコハマ! (映画「グッドモーニングベトナム」のDJのパクリです) |
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