カオルの不定期日記



トリックスター詩人 2006年10月29日(日)

  2006 10/21(sat) 22:53pm
晴れていたので布団を干したよ。


今日は精神科の日だった。
先生が「敬愛している作家」の本をオレは偶然一冊だけ持っていた。
ところが先生は「その一冊だけ読んだことがない」ということだったので
前回カオルCDを2枚も買ってくれたお礼にプレゼントすることにした。
一度だけざっと読み返して「絶版だけどまあいいか」と。
なんとなく「ワイロ」っぽくて「すげー気持ちよくなる内緒のクスリ」などを
処方してくれるかなと想ったが丁寧にお礼を言われただけだった。

あたりめーだ。

先生はカオルCDをちゃんと聴いてくれたらしく
熱心に感想を述べてくれた。
「私は音楽にはまったくの素人なんですが
 『詩』が率直に素晴らしいと想いました。
 ただ『現代社会』では伝わりにくいメッセージなのかも知れませんね。
 もっと『妥協』すればいいのかもしれませんが
 アナタの場合それはまずできないことなんでしょうね。
 それと本当に素人意見で申し訳ないのですが
 CDの声は『アナタの人の良過ぎるトコロ』が現れているように想います」

なるほどな。
確かに「妥協すれば売れるのか」的なコトはアルバムを出して以来ずっと考えてることだ。
でも「妥協」はやはり出来ないだろう。
うまく言えないけれど「世間と折り合いを付ける」コトが出来たらとは想っているのだが。
しかし「妥協・折り合い」をすれば「本当に売れるのか?」だし
「なにをもって妥協・折り合い」なのかがわからない。

とりあえずだな。
「カオル後方支援部隊ファンクラブ会員候補」の諸君はだな。
「誰ハロ」などを有線リクエストしたり
「ジェネレーションズ」などをいろんなヒトに聴かせたりして欲しい。
オレは本当に「宣伝」というのが苦手で
「買ってください」とかすげー恥ずかしいんだ。
変な意地を張っちゃうしくだらんことしか思いつかない。
「詩人〜のCDにガムをつけたらどうか」
「誰ハロを買うと『恋が叶う』とか女子高生2ちゃんねるなどでうわさにならないか」
くだらん。

世間と折り合いを付けるのなら
「丸め込む」という方が好みかな。
「トリックスター」だ。
「長靴を履いたネコ」のようなもんかな。
一歩間違えればただの「詐欺師」だが
うまくいけばだまされた方もスカッとする「ペテン師」かな。
そっちのがオレにあってる。

やはり隊長であるからには「作戦」は練らなくちゃだな。
オレらしいやり方でな。

今年は「とにかく転ばないこと」を目標に唄ってきた。
「大きな成果は期待せずただ唄う」と。
とりあえず今のところはなんとかその通りに踊れている。
そろそろ「種まき」の時期だな。
そんな気がしている。

2002年に「詩人は夜明けにガムを噛む」を発売した。
2003年は「山賊・海賊」を。
2004年には「誰ハロ」と「ピース配り」を。
昨年は「裏DVDR盗賊盤」を発売したが
今年は「カオルシール」を制作しただけで何も作ってない。
新曲も何曲か作ったけど「リンダ」以外はすべて「ボツ」の予定。

6月頃の「毛糸玉詩人」で「もつれた糸がよけいに絡まった」と書いたが
チカゴロは自然に「ほどけてきている」気がする。
あれだけ叩いても蹴飛ばしても何をしてもダメだったものが。
水が「高いところから低いところへ」流れるように。

ただ「ほどけるコト」が嬉しいことばかりではない。
切りたくないけれども「切らねばならない糸」もあるし
「結び直さなければいけない糸」もある。
「継ぎ足し」なども考えてとにかく一度「まっすぐ一本」にする必要がある。
なんだか「謎かけ」みたいなカンジで伝わりにくいと想うが
カオルはなんとなく「動き出す時期」が来たのかなあと感じているんだ。

とりあえず12/22に「古巣ベルズ復活ライブ」も決まった。
ワンマンもそうだけれど応援してくれたら嬉しいと想う。

またね。
 

取り囲まれた詩人 2006年10月23日(月)

  2006 10/14(wed) 14:20pm
なぜかオレの部屋の周りに足場が組まれており早朝から工事をしていた。


グラインダーの回転する音と
職人さんたちの下品なジョークでメガ醒めた。
天井の上を歩いている音がする。
窓を開けてみると目の前に足場が組まれており
職人さんたちの働く足が見える。
どうやらオレの部屋のグルリに足場が組まれているらしい。
天気を確認することも忘れなぜか少し後ろめたい気分で窓を閉めた。

一夜のうちになにがあったのだろうか。

チカゴロは心身共に疲れきっており
今日はライブなのでギリギリまで寝ていたかったのだが
「虫歯治療中の子供の口の中」にいるような状態なので眠れなかった。

アンケートなどをコピーに隣のコンビニへ行った。
100枚ほどコピーをしている間にぼんやりとしていた。
「今夜はどの曲から唄おうか」とかそんなことを考えながら。
なんとなく「空気の密度」が変わった感じがして振り向くと
おばさんや子連れのママなど10名近くがオレを取り囲んでいる。

「ほら。やっぱりカオル君だ」
よく見ると「何となく知った顔達」だ。
ガキの頃の彼女の母親や同級生の妹やその子供たち。
「ルリがあいたがってたよ」
「髪の毛綺麗だね。うちのなんかはげちゃって」
「ねえ。4年前ぐらい三枚町の富士スーパーで見かけたよ」
「相変わらず音楽やってるんだね」
「いま実家なの?」
同時に一気に喋る。
真実はひとつしかないのでカオルは答える。
「二年前に三枚町を追い出されて実家にいる。
 音楽はやっている。今夜はライブなんだ」

そのうちコンビニの経営者(同級生の親)も参戦し人生訓などを。
「子供いないの?いつまでもひとりを楽しんでちゃダメよ」

その中のひとりが「コーヒーでも一緒に」という雰囲気になったので
「もう出発だから」というようなことをモゴモゴ言い逃げるように逃げた。

コピー機の中に「チラシの原紙」を忘れてきた。
今度コンビに行くのがある意味恐怖でもある。
「気を利かせて」店内に貼られる恐れもある。
アイスを我慢するしかないだろう。

というかそろそろ「潮時」かな。
実家で「安穏」としているのもバツが悪くなってきたしな。
なんだか「つげ義春の主人公」みたいなかんじだ。

レイン。
どこ行こうか?


じゃ。
唄ってくるので。
 

ファンクラブ詩人 2006年10月19日(木)

  2006 10/11(wed) 23:10pm
ロードーするのが「罪悪」であるかのような空模様であった。


ファンというか読者というか
「カオルを応援してくれるヒト」というのは
本当にありがたいものだ。

誰にも聴いてもらえない唄ほど寂しいものはないし
誰にも読んでもらえない文章ほど悲しいものはない。

日記「カオルン詩人」で「至急調査せよ」というカオル様の指令に
即座にbbsやメールなどで「素晴らしい調査結果」を報告してくれた隊員たち。
まだ「調査結果」を確認してはいないのだが
「すぐに調べて教えてくれた」というコト自体が超嬉しいぜ。

毎回ライブで「ピース」などを差し入れてくれるヒトもありがたい。
ものすごく助かっている。
タバコに火をつけるたびにハピネスな気分になれる。

10/29の共演者「鬼頭径五」の関西ツアーを観たヒトから
「ジェネレーションズ唄ってました。お客さんも合唱でした」などの報告も。
多少気恥ずかしいがやはり誇りに思う。

「ロードーばかりで左脳しか使ってないチカゴロのカオルの脳」を刺激する質問も。
「質問。なぜ『糸』に『半』で『絆・きずな』になるの?」
カオルは右側の脳でデタラメに推測してみた。

「絆」。糸が半分。
「双方が糸を半分ずつ持ってる」というか
「50%のバランスの綱引き」というか。
だから半分ずつだから「手を離したら終わり」なんだと想うぞ。
もちろん「正解」は知らないけど。

ありがたいから「ファンクラブ」をつくろうかなと。
会費なし。会報なし。特典なし。会員のみライブとかなし。
「会員番号とハンドルネームのみ」をHPに載せるだけ。
名誉というか「気分的なつながり」かな。
それと「会費が高くてたいしたことないぼったくりファンクラブ」に対するアンチテーゼと。
まだ「本気」じゃないんだけど
「そんな気分」になったら「募集」するからさ。

イメージは。

001 カオル隊長
002 レイン
003 アゲアシトリータ
004 チャイナタウンウーマン
005 河童
006 devil
007 パセリ
008 山田晃士

こんなカンジかな。
退会自由。リンチなし。欠番にする。
番号は到着順。
ハンドルネームはオレが決めてもいいが
そのときは「あんたの特徴」などを明記するように。

まだ「募集」じゃないぞ。
いつかやるから「考えとけよ」つーことだ。

あ。それと「ライブレポート」とか誰か書かないか?
「セットリスト復活」も考えているんだけれど
「お客様の視点」つーのにも興味があるしな。
頼むぞ。

オマエら今回の日記読んで「くだらねーこと言ってらあ」とニタリとしたろ?
それでいいんだ。
オレは「ワンアンドオンリー」のオトコを目指すんだ。
「前例のない人生」を送ってやる。
関わりたければファンクラブに入れ。

あばよ。
 

潜水艦詩人 2006年10月16日(月)

  2006 10/10(tue) 22:26pm
かけっこが嫌いな子供は本日の運動会が中止になるように雨を望んでいたのだろうが。


カオルのアルバム「誰ハロ」に収録されている
長編「サブマリンデイズ」は宮沢賢治の「やまなし」のイメージで書いた。
「あぶく」がプクプクゆら〜っとのぼっていくカンジ。
「やまなし」には「クラムボン」という名称が出てくるが
それは「造語」らしい。なんとも不思議で魅力的なコトバだ。

カオルは先日ある50代のおじさんと話をした。
おじさんは3年間「海上自衛隊で潜水艦」に乗組員として仕事してたらしい。
「食事がうまい」コト以外はすべてつらく狭苦しいらしい。
そういえば「海軍のカレーはうまい」とウワサでは聞いたことがある。
横須賀あたりの駅の売店でもレトルトの「海軍カレー」というのも売ってるしな。

窓のない金属でつくられた70人乗りの巨大な潜水艦。
ベッドはとても狭く長さが2mぐらいで幅が60cmぐらいしかないらしい。
寝返りはうてないし天井も低いのでガバッと起き上がるとアタマがぶつかる。
一度潜ったらだいたい2週間ぐらい「潜水」しているらしい。
潜水して何をしているのかというとそれは「国家機密」に値するので
なんとなくのヒントを教えてもらっただけだった。

カオルはそのヒントから急激に「戦争」を身近に感じた。

潜水艦でいちばん怖いのは「火災」らしい。
そりゃそうだ。まわりは水だらけだけど溺れちゃうしな。
とにかく「2週間窓ない狭いところで海の中」というのは
ものすごくストレスが溜まるようだ。
「陸」に足をつけて深呼吸をしたときは非常に安心するんだと。
たとえそれが排気ガス臭い空気だとしても。

オレは「潜水艦で働いていたヒト」と初めて逢ったので
根掘り葉掘り質問攻めにしてしまった。
いろいろな話を聞けたがオレの結論は「絶対に潜水艦には乗りたくねー」ということだ。

200m歩くのはそんなに難しいことじゃない。
200m登るのもガッツはいるがなんとかなるだろう。
しかし200m潜るのは装備にもよるが相当大変だろう。

我々は「地面」に張り付いて生きているのだな。
パンクバンドのライブでジャンプしてもせいぜい50cmぐらいだろう。
飛行機に乗ったとしても2週間乗りっぱなしはないだろう。
我々はそれなのに180cmと164cmの身長差などを気にしている。
地べたの上で恋をしたり首をかしげたり読書をしたりして生きている。
たまにホテルの上の方の部屋から地上を見下ろすとなんとなく「偉い」カンジがする。
しかし潜っても偉いカンジはしない。
なんでなんだろうな。
「偉いヒト」はたいてい「高いところ」から手を振るしな。

我々が江ノ島の海岸で海を眺めながらロマンスにひたっているとき
その沖合海中200mには食事だけを楽しみにしている70人のオトコたちが
「何らかの目的のために潜水」しているのだ。
おそらくは緊張しながらストレスを抱えながら。

様々な人生がある。体験がある。仕事がある。
世界は広い。「謎」も多い。しかし我々の人生はあまりにも短い。

チャールズブコースキーのコトバ。
「詩人であることはとても簡単だ。
 しかしニンゲンであることはとても難しい」
カオルそのコトバに1票を投じる。

それじゃあまたね。
 

詩人玉 2006年10月12日(木)

  2006 10/4(wed) 22:12pm
まだ冷房を入れている飲食店などがある。


オレはレインと古本屋の二階で居候をしている。
ふと気がついたのだが「床が傾いている」のだ。
ニュースなどで流される「欠陥住宅の床」のように
パチンコ玉が転がって行くのだ。
まあレインはそれが面白いらしいのでいいのだが。

二階は「建て増し」をしたものだ。
元々の作りに原因があったのか。
隣の部屋は20代前半までオレが暮らしていた部屋だが
いまでは親父の「書庫」になっている。
親父の唯一の趣味が「古書集め」で
万を軽く超える蔵書が実家にはあり
その三分の一ぐらいが「元カオルの部屋」にある。
だからその重量が傾きの原因かもしれない。

賭けてもいい。
大きな地震が来たらオレとレインの部屋は倒壊するだろう。
壁にも15cmぐらいの亀裂が入っているし。
防災グッズのようなものは一切用意していない。
そん時に考える。

パチンコ屋の前を通りかかると
たまに店に落ちている玉を4つぐらい拾ってくる。
それにしてもパチンコ玉はどこへ消えてしまうのだろう。
いつか大掃除をして大量に発見されたら
うまく積み上げてボンドで固めて「ピラミッド」を作りたいと想っている。
イメージでは「いいヤツ」が出来そうなんだ。

自然界に「完全な球体」というのは存在するのだろうか?
地球も正確には楕円らしいし。
つーことは「ニンゲン」が創作したのかな。
何のためにだろう。
「遊び」かな。
ルーレットの玉。
ボーリング。
ビリヤード。
スポーツ。
アクセサリー。
シャボン玉。

あ。カエルの卵とかキャビアは球体か。
ウミガメの卵もそうだった気がする。
違うのかな。

江戸川乱歩の小説に「鏡地獄」というのがある。
「完全な球体。中は空洞の総鏡張り」。どんな風に姿が映るのか。
奇妙な短編だ。
近頃のカオルは「そういう想像力」に欠けているな。

また。
 

カオルン詩人 2006年10月10日(火)

  2006 10/9(mon) 21:00pm
たいていのアクシデントなら笑い飛ばせるカンジの青空連休であった。


特にどこに行ってなにをした訳ではないのだが
ロックンロールでセクシャルでギャンブルな連休だった。
金曜日の暴風雨のときはアクシデントもあり
とても冴えない気分だったのだが
翌日の「もう少し若かったら飛べそうな空」がココロを穏やかにしてくれた。

土曜日は精神科に行った。
その日は先生とよく喋った。
以前から「あなたのCDを聴いてみたい」と言ってくれていたので
プレゼントに持って行ったら「買うよ」と。
ジャケットがわずかに割れているモノを持って行ったので2枚で4000円に値引きした。

「あなたは『闘争心・好奇心が激減している』と嘆いていますが
 わたしにはむしろ『逆』に想えます。
 あなたはモノを独自の視点でよく見ています。好奇心があるからです。
 しかしたいていのモノが気に入らない。だから『好奇心がなくなった』と。
 そしてあなたは『何かを伝えよう』と『価値観の違う社会』でもがいています。
 それは『戦っているコト』です。闘争心がなければ出来ないことです。
 ただ受け入れられないからめげるんですね。戦う気力をなくしそうになる」

「あなたは常に『没頭・極限』ではないと気が済まないタチです。
 思いっきり暴れ真剣に休む。『他のことを考える時間』という余裕がダメなんですね。
 さまざまなコトを同時に考えるからそれが鬱の引き金になるんです。
 それを無意識で知っているから『没頭できる依存対象』を探しているんですね。
 クスリを増やしても眠れないでしょう。
 そして現段階のレベルの鬱は治さない方がある意味いいでしょう。
 つらいのはわかっていますがモノを作るヒトにはマイナスのベクトルも必要です」

オレはなんとなく楽ちんになった。
「すでに自分で知ってたコトを言われた」のだが「理解された」気がして。
順番待ちの時間に書き上げた「カオルグニャグニャの絵」を先生に見せた。
あるコトを言われた。
「カオル部隊検索チーム」は下記のヒントを手がかりにして
「正解」を発見し大至急カオルHPまで報告するコト。

「ああ。面白い絵ですね。
 そうだ。名前を忘れてしまったんですが
 そのヒトの作品によく似ています。
 あなたの現状打破のヒントになるかもしれません。
 辛口評論で有名な『コバヤシヒデオ』というヒトが
 唯一『天才』と絶賛した『骨董品の鑑定と本の装丁』をするヒトです。
 確か夏目漱石の本もそのヒトが装丁したような」

帰りは先生にCDを売ったお金でギャンブルをし儲けた。
夜中には水鏡のような満月も見ることが出来た。
レインは大量のパチンコ玉に狂喜乱舞していた。
『幻覚時代』の頃『現実との区別がつかない状態』でやってたゲームを買い直し
没頭してやった。主人公の名前は「カオルン」にした。
その主人公の職業は「盗賊」だ。
同じ悪いことをしているのになぜ「泥棒」より「盗賊」の方が響きがいいのか。
それともそう感じるのはオレだけなのだろうか。


オヤスミ。
 

癒し嫌い詩人 2006年10月05日(木)

  2006 10/3(tue) 23:57pm
着る服に迷う天気であった。


オレは「なまぬるいラーメン」の次に
「癒し」という言葉が大嫌いだ。
理由なんてわからんが生理的にダメなのだ。

「カオルさんの唄を聴いて癒されました」とかいうのは嬉しい。
オレ自身も「癒される・安らぐ感覚」は好きだ。
でも「癒し」という言葉は「濡れた靴下」より嫌いなんだ。
理由なんてわからんが本能的にダメなのだ。

たとえば広告のキャッチコピーなんかで
「癒しの空間」「癒しが必要としているアナタへ」とか書かれていると
軽犯罪を犯してしまいたい気分になる。
「ヒーリングミュージック」ってあれはいったい何なのだ?
なんかシンセサイザーでボワーとかしててさ。
鳥のさえずりとか波の音とかさ。
あんなんで安らぐのか。
オレにはストーンズの「サティスファクション」のがヒーリングだな。

「生」はいいよ。
ヒトの少なくなった夕暮れの海岸でぼんやりしてるのはな。
公園で鳥がチリチリ鳴いているのを聞いているのも好きだ。

野生の動物。
自然の中で地球のルールに従って生きている彼らには
「癒し」というモノ自体必要がないのではと想う。
どんなカタチであれ「癒し」というモノを必要としている人間社会に問題がある。
ストレスや「傷」がなければ癒しはいらないだろう。

「癒し」というのは「ヒーリング・治療」なのだろうか。
もっと原始的だった時代と場所で「シャーマン・呪術者」なんかが
医者の代わりに病を治療していたその行為のことなんだろう。
それは理解できる。

憎むべきは「軽薄な言語感覚を持った広告のヒト」なんだ。
「現代はストレス社会だ」→「じゃあ『ほっと一息癒される』がキーワードだな」
「現代はストレス社会だ」→「じゃあ『ストレス社会で戦うアナタに』だな」
この短絡的な図式の代表が「癒し」という言葉なんだとオレは想っている。
ユーモアもシャレもウイットもとんちもない。
「ファイト!一発」のが素直でよろしい。覚えやすいし。

「癒しの空間」てなんすか?
「その場所に行ったヒト」が感想として「癒された」と言うのはいいけど
「その場所を制作したヒト」が「ここに来ると癒されますよ」と言うのは
非常に僭越なカンジがする。

ヒトはココロがある。
それは非常に脆く傷つきやすい。
世の中の不自然さ・理不尽さの中ではめげることも多い。
だから「癒されること・治療・安らぐこと」が必要となる。
なぜか。
戦うためにだ。
なんのために?
オレの場合は「癒しを必要としないゆるい社会」になればいいと想って。
ロマンティックにゆらゆら生きて行きたいんだ。
嫌なことはしたくないんだ。

でもこういう考えは「勝ち組」になれないらしい。
「勝ち組」という言葉は「癒し」という言葉より大嫌いだ。
理由なんてわからんが生まれつきダメなんだ。

2日間働いたから明日はノンビリする。

では。
おやすみなさい。
 


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